koichang’s blog

詩を書いてます

つい先日


  
 「」が一文字であるのに対し、
  にら
 「」が二文字であるので、

 ふたもじ
 「」と言う。

    ひともじ
 だから「」と言う。


 ・・・現代でも残りつつ、

 しかし今では使う人も限られているんじゃないかと思う、
 にょうぼうことば
 女房詞

 、、、、
 ひもじい、もそうだし。
 、、、、
 しゃもじ、もそうだ。


 然りとかで、

 これを美しいよくわからないと言うのも、

 しいのだけれど、

 、、、、、、、、、
 時代劇みたいな方言や、
 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 英語を使ってる外国人が日本語を学んでるみたいに、

             きょうしょく
 その瞬間ふっと僕は言葉の嬌飾について考える。

 事実の報知機か、宝の山の地図でもどちらでもいいのだけれど、
       、、、、、、、、、、、、、
 本当に僕等は日本語というものを知らないなあ、と。
 

 内村鑑三のこの言葉も、

 もしかしたら、間違えて理解する人もいるかも知れない。

 でも、軽信でも、狂信でも、非常識でも、欺瞞やインチキでも、

 悉くあたかも正確であるかのように記述される。


 キリスト教を信ぜよ、

 然れども外国宣教師のパンを食ふ勿れ、

 日本国を愛せよ、

 然れども藩閥政府の米を食ふ勿れ。


 ――室町時代初期頃から宮中や院に仕える女房が使い始めた、

 そういう言葉とは全然関係ないけれど、

 く使っているものにだってらないことや、
 
 よくわからないことがある。


 ・・・そういう力圏い過去はあり、
  
 進月歩の科学の時代しい呪術を可能にする、

 
 ・・・いやなに、どうして僕がこの話をしてるかって、

 本当に、つい先日のことだよ、

 仏教がどんなに日本語と密接にかかわっていたか、
    、、、、、、、、、
 それがわかっていたつもりであっても、

 外国人が、写真を撮りながら、
 ビューティフル
 美しいと言うまで、



 あれほど神社好きだった僕も、気付かなかったのだ。

 自分でも驚いて、百日参りもした場所なのに、と、

 カルチャー・ショックを受けてしまった。

 その神社の何処にも僕が、

 そのを見出せなかったことに――。