koichang’s blog

詩のノーベル賞を目指す、本を出さない、自由な詩人。

煙草屋





街角の煙草屋が消えている。
たばこ”の文字が入ったレトロな看板、
古びた軒先テント、
小さな販売窓口と、
呼び出し用の卓上ベル

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―――何だかアメリカのSF雑誌とか、
白黒の写真を想像してしまう。

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手で狐の形を作る。

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こういうところには座敷童のような爺や婆がいて、
商店街、場合によっては住宅街なんかにあったりした。
看板猫や看板犬とワンセットであり、
桜の樹とか、木造建築となってくるとPOINTは高い。
空港に出てくる鳥居、狸と一緒である。
煙草屋の前には自動販売があった。

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社会心理学の本で、
差別というのは人が何らかの偏見を持ち、
そこから様々なプロセスを踏むことで、
偏見が強化されて差別へと変わるとある。
僕はまずそのステレオタイプの怖さを想うのだけれど、
ステレオタイプのない生活というのも考えにくい、
僕は詩人なのでわかるのだけれど、
人が都市を普通に歩くのはかなり奇妙なことだ。
見知らぬことばかりなのに、
どうしてこんなに楽しそうに人は歩くのだろう、と。

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―――ノンフィリアとか、
ネクロフィリアについて考える・・。

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変態というのが好きな僕は、
人間という奇妙な生き物の、
忌避すべき習性みたいなものに、
生きる意味を探しているのかも知れない。

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煙草の仕入原価・小売価格は政府により規定され、
割引して販売することは禁止されている。
煙草の定価制度はたばこ事業法第三三条から第三七条までの規定に、
基づいているため、再販売価格維持を原則禁止した、
独占禁止法に違反しない。

また、煙草を購入した金額に応じてポイントサービスなどを、
適用することも実質的な値引きにつながるとして禁止されているが、
十箱まとめ買いをした顧客に、
ライターなどのサービス品を提供することはよく行われている。
卵やティッシュがついてくる、とかもあった。
これもコンビニ的常識神話の前では、およそ異教徒的だろう。
スズメバチを刺させて遊んでいたというツワモノの話があるのだが、
これもアナフィラキシーショックとかが出てくる前の時代、
何考えているのかよくわからない危険な遊び。
爬虫類の生食とサルモネラ菌
最低そういうことは、健全なこどもの図鑑には載っていないし、

まず、載せられない。


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角の煙草屋というのがある。
小説に出てくる不思議な言葉だ。
僕も身近に一軒知っているが、
これはこういう言葉を知らないと、
絶対にその魅力が出てこない。
どうやって張ってるのか考えてしまう装飾テントや、
コーナースポットとしての魅力というのは、
たった数百メートルほど離れた、
煙草屋までの道のりのように美しい。
まだ空が明るく、眼の前の影が消えないうちに・・・・・・。

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SCPとか、怪異駅というわけじゃないのだけど、
僕は廃墟の写真や、日本外国問わず古い写真が好きで、
あの404 not foundみたいな感じを推してる。
つげ義春に出てくる温泉宿みたいなものだ。
廃線を歩きたがる鉄道マニアみたいなものかも知れない、
個人的にレトリック抜きでいわせてもらえれば、
北海道の小さな燈台をめぐりたがるマニアみたいなものだ。
茫漠たる存在は近づけば近づくほど揺れ動き、
想像の扉が次々と出現する。
さながらそれは神隠しのような非日常の扉

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あの販売窓口の向こうには、
人ひとり座れるほどの小さなスペースに座布団がある。
そこに座っている人間だけが見ている、
町の風景というのがある。
ショーケースに入ったブランド物のサングラスじゃない、
ベビー用品店のマタニティドレスじゃない、
衣料店のマネキンやトルソーじゃない。
コンビニで売っている、
かなり珍しい手巻煙草を買って、
何が苦労したかというと、
一言も言葉の説明がなかったということだ。
雀荘に通ってた時によく嗅いだ臭い、
街から煙が消えて行ったとある年のように、
喫煙スペースで込み合ってたあの不思議な匂い。

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―――夜、ひと昔前の日本みたいな景色の、
瀋陽からちょっと二時間ぐらい離れたところにある、
中国の街角を思い出す・・・・・・。

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がやがやがやがや、
がやがやがやがや、
どうしてだろう、白秋の邪宗門を思い出す。

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イメージは混交しながら粘菌のように増殖し、
都市に氾濫する万物をないまぜにしながら失速するイメージ、
この螺旋の底では、
遠い時代の景色の蜃気楼がフラッシュバックする・・。