koichang’s blog

詩のノーベル賞を目指す、本を出さない、自由な詩人。

レトリックアルファ

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  ​​​●ジオラマんだようなアングル。​​​
​   小さな世界―――箱庭・・・。​



耳と眼をそばだたせた雑沓がある。
植え込み、等間隔の街路樹、
電話ボックス、ターミナル、自動車、
マンホール、煉瓦、横断歩道、
それらが形成する保湿力の高い浴槽。

   
―――まなざしのせめぎあう場所。



何故かリナ・サワヤマについて考え、
コロナによるアジアンヘイトに結び付け、
差別や迫害意識だけではない、
政治的な発言による心象操作、
人の動物じみた心を考えている・・・・・・



  ​​●シャボン玉るいところでは、​​
​    目立たない


直線、平面、曲線、その展開と切断による基礎的作図。
大都市の都心路面交通の諸問題、それは災害である。
雑踏事故要因である大規模イベント。
高密度群集滞留。でも人の動きを誘う、
、、、、 、、、、、、、、
コンビニ、ファーストフード。
念想が踵の方まで流れかけてゆくが如く、
緊迫したサイレン、パトロール・カー・・・。


  
​​​​   ●物語わるようなとして、『世界観』というのは、​​​​
​​​    文章“命”みたいなものだと。​​​
​​​​​    それが文体、表現、レトリックレベルなんかを、​​​​​
    決​​​めている。ねじやボルト、くびき―――による、生命線、​境界線。​​


、、、、、、、、、、、、、、、、、、
インドの子供にお金をあげてはいけない。
お金をあげると何十人もの子供が寄ってくるから、
中途半端な慈悲や同情をするぐらいなら、
―――何も思わない方がいい、利用される・・


そんな時“ゲーム画面”を見ている、
“コントローラーを握った自分”を想像する・・・・んだ―――。


得体の知れない何かとても大きな力に操られているような、
才能と運と努力が一組のもので影響力を持っているような、
お金を積んだ食べログや、マネーゲームのアートとは違う、
そんなある種の考えが、頭の上から舞い降りてくる・・・。


―――きているに、
はどこまでることができるだろう、
どんなに真剣のことをつめられるだろう・・。


  
​​    ●世界にははじめ言葉があった、というように、​​
​​     絵には構図があった。​​
​​​​​​​​     色不思議、似色同士わせると統一感。​​​​​​​​
​​​​​     様々法則、それが望遠レンズ距離圧縮する。​​​​​



昭和四〇年、東京から日本初の砕氷艦である、
南極観測船「ふじ」が出港し、
アデリーペンギンに囲まれたような人の波と、
そんな風に僕が思うのは、
信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、
取るべきを取り、捨つべきを捨てたから。

、、、、、、、、
マネーの潮流変化、
インサイダー取引の話で、一番儲かるのは、
絶対に株価が上がることを知っている情報だと聞いた、
でもそれはインサイダー取引ではないのだと言う・・・
渓川のところどころに澱んだ淵が出来るように、
神の手を思わせる、一種、電磁波過敏症が進化した、
もしくは近い将来訪れる、仮想現実さながらの、
アイボーイ』のように、
僕等は情報の深度を探る。
猫も出た杓子も出た千態万状の摺附木の函。
人間はやはり侏儒ということだろうか・・。

​​​​シ ネ マ テ ィ カ ル ・ト ポ ロ ジ ー 。​​​​

―――文化とは何だろう、
生活とは何なんだろう・・・。


(僕等の心を狂わせているもの、
それもやっぱり人の上や下のことなんだろうか・・、
福沢諭吉が鯉のぼりみたいに思えてくる


、、、、、、、
こんな変な社会・・・・・・。



​​​​  ●音楽って不思議、一種狂騒状態になり、​​​​
​​​​   まるで新興宗教現場とか日本武道館セミナー。​​​​
​​​   踊宗教、伊勢参。変性状態・・・・・・。​​​
​​​   念仏前衛音楽だったとえるなら、​​​
​​​   宗教的感覚芸術的衝動なのかもれない・・。​​​



追い掛けると振り回され、
突き抜けると身近にあるという禅のように―――。


地上で一番静寂なところとは残念ながら、
一番五月蠅いところだと相場は決まっている。
歩行者履歴の深層強化学習による、
車輪ロボットの雑踏切り抜け動作生成。
が? が、である。

違和感が始まり、
心の中で噛み合わない錯覚が起こる、
僕はそれをどうしたいのか、
どうすべきなのか・・・・・・。


曼荼羅アートマン、因果応報、
肉強食、適者生存・・・・・・、​
は何処へ行くのだろう、​
とは一体何なんだろう・・・・・・。​



人相から性格の型を割出し、
服装からその人の気分を予測する。
もちろんそれはラベリング効果もあり、
ここには割れ窓理論が潜む。
そこには流行があり、その人の偶像化と付随現象がある。
鞄などの小道具も忘れてはいけない、
真髄的に重大なもの、情趣、
その人のかぶれ具合がわかるモノクロームの効果。
シンプルに見るということに特化すると、
予測は確率のものだから、
常に修正を求めるようになる。
多事多忙の境遇に置き終日奔走。
かくて、ありとあらゆる国が、
自国を世界の中心に据えるような事態となり、
客観的な俯瞰視線が求められる。
まるで、交通事故を起こす夢、巻き込まれる夢。
病は蔓延の兆。街燈の光が点灯いたり消えたり、
瞬きするようで綺麗。浅草橋の雑踏、
ブラジルのストリートチルドレン、異国人・・・。


れると日本世界九番目きい・・・・・・。



  ​​●スピード感とか臨場感というものがあるなら、​​
​​   ブレてもいい作品があるということだ。​​
​​​   ブレ表現というもする。​​​
​​​   逆にそうしないと、そのじがまったくない。​​​
​​​   気けたサイダーみたいになる。​​​
​​​​​​​   祭りの写真なんかでもそうだ。
   逆スローシャッターりで​みたいな手法もある
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在りし日の広い荒野など跡かたもない、
この混凝土は山を崩して作られた、
素気なく白々しい建物の数々、
高層な洋式建物が軒を連ね、
異臭、殷賑、衝動、爆発するフラストレーションは、
秘密を暴きだすプリント・オン・デマンドさながらで、
幼稚園児でもいえるような解決策をのたまう心理カウンセラー、
ネット掲示板のうすっぺらさは数足とびの答えを求めるあまり、
その人が本当にどんな人であるのかという、
常識的な感覚を失ってしまっている。
白黒の銀塩写真を台紙に糊で貼ったよう。

神の声が聞こえてくるという一つの寓話のように、
カップラーメンの人々、それが雑沓だ。


ここでの孤独は劣等感や、
現状維持できなければ居場所を確保できない生活による。
飲んだくれが醜態を演じ、ホームレスが恥を忘れる。
君は歩きながら、マジパネエ、とか、
マジヤバイを連呼しながら時代遅れ感を演出する。
長途の困難な旅行者のように荷物を背負って、
不安や神経過敏をおさえながら、
キャプテン・クックの全航海軌跡さながら何処かへと行く。

、、、、   、、、、、​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

何処かに―――答えはない。
自殺は何故いけないのか、臓器売買は何故いけないのか、
立派な大人のふりした馬鹿批評家が胡散臭い説を述べる・・、
可視化せよ、選択肢の前提条件を考えよ、そして、そして、

お前の中にある過程こそが正解である。模範解答はいらない、
より高い視座、より納得できる、何十年もかかりそうな答えを探せ




お前の好きなように生きろよ!






  、、、、、、、、、、、、、、、
  固定観念にとらわれてはいけない。


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