ボウフラのようにせっかちに細切れのシーンに浮き沈み、
さながら風のない池か沼にでもなったどんよりとした気分に、
耐え切れなくなった僕は、
、、、、、
真兄の部屋を開けて、
たぬきみたいな顔をしながら、
言葉の説明でつかまえようとすると、
ふいに消えてしまう不思議なかげろうのように、
(パッ...あら不思議、)
壁に掛けられたフックから、
バイクのキーを借りていく。
(「盗む」という言い方もある、)
勉強していたらしい真兄が回転椅子でくるりと僕を見て、
(優等生なんだな、)
親指を立てながら言う。
部屋だというのに、ファッションモデルみたいな恰好をしていて、
(実はブログでファッションモデルの真似事をしていて、
かなり人気らしい、)
裾が短いズボンだし、海外通販で買った変な柄の服だけど、
それは一言でいって、ジョジョだと思う(?)
聞けば、事業の紹介、通販サイトの宣伝、
テレビショッピングのノリで答えてくれる・・・。
時々お前、部屋なんだから帽子ぐらい外せよ、と思う(?)
ちなみに真兄は、
中学生だろ、免許はどうしたとか余計なことは言わない。
父親なら言うかも知れないが、真兄は言わない。
「兄さん、何処へ行くんですか?」
「ちょっとそこまで」
、、、 、、、、、、 、、、、、、、、、
これは、コドモたちが、オトナ語を使う時代(?)
*
それは僕に空き壜や、ゴム製品や古靴や、
無数のタイヤのある山奥のゴミの堆積を思いさせる・・。
時計のゼンマイがもどけにもどけすぎてしまうような、
そんな時間・・・・・・。
でも、安心だ、
ここに物質を朽ちさせる風化の魔法はまだかかっていないし、
何しろマイカーはなく、あるのは自転車とバイクである。
(家族旅行はもちろんレンタカーだ。何の心配もいらない。
そして梅雨時や、集中豪雨の時にコンクリートから、
水漏れしているのを見る)
でも大丈夫だ、僕はそれを見ながら、
サントリーの企業理念である、水と生きる、
という言葉を思い出すナイアガラの滝(?)
(マストの上の水夫みたいに非現実的なまでの大海原を眺める、)
みんな、罵倒する言葉を探しているんだ、
ピュアとかナチュラルとかイノセントとかいうものを拒む、
なまぐさく澱んだ血の連環、あるいは、交差点・・・。
魂 の 奥 深 く の 、
得 体 の 知 れ な い 領 域 へ 入 る 度 、
僕 は 見 劣 り す る 、 バ ラ ン ス の 悪 い 、
そ し て 、 隙 間 風 の あ る 、
本 当 の 自 分 に 気 付 く 。
「(誰だって本当の自分などというものを考えれば
それはみじめで、みっともないものだと思う・・・)」
「(腹ん中が腐ってて、ぐちゃぐちゃで、気持ち悪くて、
でもそいつもまた愛そうとする・・・・・・)」
見えすぎるのも考えものだなって思う。
―――真実は氷山の一角、環境の名称にすぎないよ・・。
●ベトナムの通勤風景。
僕はベトナムだったかタイだったか忘れたけれど、
日本の漫画やアニメをパクった漫画の話を思い出す・・。
奇跡的な下手さでオリジナリティを保つ。
僕はセブンスターにシュボッと火を点けながら、半ヘルをかむる。
オートバイというのは基本的に輸送手段ではなく、
趣味の範囲に入る製品だ。
ちなみに統計的にはインドと中国におけるオートバイの台数が、
突出して多く、インドや中国ではオートバイはほとんどが、
実用目的で使われている。
先進国の台数は相対的に小さいが、高価格帯の車種も売れており、
モータースポーツも盛んで、趣味や道楽として楽しむ人も多い。
、、、、
けれども、
(ここがすごく面白いところなのだけれど、)
質問を変えて、
『次も同じバイクに乗りたいか?』
という問い掛けをしてみると、
七〇%以上がYESと答えている。
信頼性と満足度は必ずしも一致するものではない。
(これは手入れが絶対必要な旧車の世界にも言えて、)
壊れても乗りたいブランドもある、
それはスポーツタイプで尻や腰が痛くなるとわかっていても、
カッコいい、乗りたい、という気持ちとよく似てる気がする。
褒め言葉だけど、バイク乗りって馬鹿だから、
ついつい百キロの距離を五百キロと盛ってしまいがち。
真兄の部屋から、かっぱらったバイクのキーを、
タンデムシートの線をなぞりながらガソリンタンクへ。
次第に鍵穴へと迷い込み、
イグニッション・キーを差しこむ。
多くのバイク乗りというのは、
冬の日の朝に持ったコーヒーカップみたいに、
妖精を探したりする。
*
*
バイクは古い型のゼファー。
(西風、そよ風の意らしい)
話によれば、
レーサーレプリカ全盛時代に、
敢えて懐古的なカウルなしのスタイルを前面に押し発売。
これがフルカウル以外の選択肢を求める、
ユーザーに受けて爆発的な売れ行きを見せ、
ネイキッドブームの立役者となった。
(評価される、時代を作る、とかいうのを考えると、
僕は映画『ファイナルファンタジー』のCGとシナリオのギャップ、
不気味の谷現象とかを考える。それは、
チャチャというサービスとか、ヒート・ネットとか、
ヌーペディアみたいなことを僕に考えさせる、)
敢えて自主規制を意識しない馬力設定は、
過熱しすぎていたカタログスペック競争に一石を投じることとなり、
ユーザーのバイクの選びのスタイルが変わる、
、、、、、、、、、
ターニングポイントとなった。
このゼファーのヒットは、
レプリカブームにおいての販売不振により撤退も検討されていた、
川崎重工業の二輪車事業を、
同社の大きな収益源に生まれ変わらせる原動力ともなった。
川崎重工業はZEPHYRと名付けたいためにフォードとの交渉を行い、
名称の使用権を得たという経緯がある。
といっても、そういうのは蘊蓄にすぎない、
バイク歴が長くなるほどカブに一目を置くようになるみたいなものだ。
けれどもそういう物語というのは、
僕の父親の友達のバイク乗りにとっては大切だったと思う。
それが人生の中の一齣を彩る構成要素だからだ。
工賃をけちって自分で直そうとしたということもあるにせよ、
これまで長年親しんできた、何度も何度も手入れをした、
そんな労わってきた相棒との別れ。
、、、、、
戦友である。
バイクに卒業はないとか格好いい意見はあるけれども、
妻がもうそろそろいい歳じゃない、
あなたその趣味はおやめなさい、と言ったらしい。
思わず全身の毛穴が凍る、氷った血が心臓に流れるような、
―――よくある高齢者問題。
、、、、、、、、、
最初は男のロマンだ、
俺はこいつと死ぬんだとか言っていたが、
(男のロマンとはそういうものだ、馬鹿と紙一重だけど、
論理で追っている以外に表現を与えること、それがロマンだ)
でもバイク乗りあるあるだけど、
やっぱり事故は避けては通れない道で、
彼等が事故の話をすると、
大抵よく生きてたねみたいな感じになる。
そういう時期と重なって、
(怪我こそしなかったらしいが、あわや死亡事故だったらしい、
カーブを曲がり損ねてというオーバースピード、眼の錯覚、)
奥さんの愛のあふれる説得の末、とうとう折れた。
まあ、締まりのなくなった時の弱音っていうのは、
どこからでも勝手にこじ開けて出てきてしまうものだ。
正論って言い方もあると思うけれど、
聞く側の心理状態に尽きるところもある。
ともあれ、勲章がいくつも入ったバイクは、
どの店に行っても値引きされ、引き取り価格が安かった。
(いまは値段が上がってるみたいだけど、)
戦友を手放すというのに、
こんな扱いを受けては我慢できない。
ということで僕の父親に相談し、誰かバイクがいる奴はおらんか、と。
値段の面では出血大サービスで十万円ほどだし、
しかも完璧に手入れを済ませているので、
はっきり言って大損であることは間違いない。
それでも、このエピソードってとても胸が熱くなる、
しかもこの人は、自分の事故から次の乗り手のために、
バイクライダー用のエアバッグまでプレゼントした。
さすがにそこまでされたら男の沽券にかかわるとばかり、
父親もボーナスを全額利用して、
ぽーんと車をプレゼントしたらしい。
なんというか、素晴らしい友情である。
母親がキレそうなエピソードではあるけれど、
そんなバイクに乗りこむ。
*
、、、、、、、、、、、、、
股ぐらの下にエンジンがある。
ふたつのシリンダーの中で、
空気を薄めて生ぬるい蒸気にするような混合気の燃焼が、
繰返されている。
いつだって―――。
いまだって・・・・・・。
バリアフリー、ユニバーサルデザイン、
ノーマライゼーション。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
でも強い雨ほど興奮するなんて一体誰が教えてくれるだろう?
五感に訴えてかけてくる。
時間が止まる。
そして僕はサイドミラーで後ろの樹木や、
マンホール、植込み、
切れかかった蛍光灯なんかの巨大な空間の多様な刺激が、
矢継ぎ早に、氾濫気味に流れている世界を感じながら、
二車線道路へ飛び出す。
、、、、、、、、、、、、
バイクが学校を通り過ぎる。
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/PLAY START
*
●ある程度の知名度を持つようになると、
そこにはファンというのがいる。
認知症の徘徊のように、
父との確執、母の不在、
様々な問題を抱えた人間たちにおける、
救済措置、偶像化、でも時には、
―――それは精神の駆け込み寺だ。
《ローマ最古の成文法である十二表法の第八表には、
夜間盗みを行った者を現場で捕らえたとき、
被害者は殺してもさしつかえないという規定があり、
盗みに対する制裁措置が過酷であった―――》
、、、、、
という記事。
まるでラノベファンタジーにおける、
異世界の見知らぬ場所に産み落とされたような気持ちだった。
『目的』があり、『行動』というのがある。
紙の上に並ぶ文字を見た時の、
愁いを吸い取ってくれるような気持ちが思い出せる―――計画書。
、、、、、、、、、、、、、、、、
しかしそれは上下方向にうごめく線。
(手引書やマニュアルは様々な状況を想定して、
それらの状況に対応する方法を示したものであるが、
往々にして想定外で記載されていない現象も発生する・・・)
、、、、、、
いまがそれだ・・・・・・!
*
●道路は殺風景な棺桶の行列。
その行動と表情を子細に追跡すると、
頽廃的な民謡でも聞こえてきそうだ。
SNSの普及と流行によって、写真、
そしてセルフポートレイトの在り方は大きく変化した。
そんなことを考える。さて、グリッド状の白い線が現れては消え、
まるでCG撮影のセットや編集画面が剥き出しになったよう。
交差点で右折して外環へ入り、
びっくりドンキー、ブックスファミリアなどを越えてゆく。
やがて旧道に入り、淋しい気持ちに駆られてくる。
消失と出現の狭間をさまよう古墳の風景がちらつく。
(風景というのは、要素を単純化し、遠近法で理解する。
立方体、円柱、球、および三角形・・・・・)
夜の町を走りながら僕は考えた。
液体のような内部知覚が、飽和した感覚や、
充実の頂点へと向かっていく。
吹く風は、さらっとして、気持いい。
そのどこにも、死の影なんかなかった。
わずかな距離で、ピピッとした電流を感じる、
カタログ販売されているような車やバイクが通り抜けていく。
魚群のように前方へ遠のいて行く、先を急ぐ者たち。
これまでの僕はあくまでダーツの真ん中を射止めようと、
あんぽんたんなことばかりしてきたんじゃないか、と思った。
戦略性などなく、
しかしデリケートで繊細なガラスの要素を持ち続けた。
そして、僕はダーツ・ボートばかり見ていたような気がする。
教室へ行けば香山ゆかりが貶し、
友達友人知り合い顔見知りのクラスメートは、
ふられ記録を更新し続ける僕を、
世界記録と小馬鹿にしてくれた。
ある人は僕にあることないことの噂話を知って近づかなかったし、
それでも多くの人はゆかりや秀一のよい面さながらに、
僕が実はすごく普通なんだと知ってくれていた。
図書館へ行けば管理人さんが人生についての、
ありがたい滔滔たるお経を唱えてくれたし、
屋上へ行けばセブンスターをふかせたし、
秀一はプレイボーイの心得を語ってくれた。
そして秀一の家へ行けば、
その姉たる希美衣さんが僕を甘やかしてくれた。
●カナブンと衝突しただけでも弾丸みたいになるスピード。
前にバイクのレース中に鳥がぶつかってきて転倒、
という話があったけれど、
バイクにそれを回避する術はない。
すこしずつ呼び覚ましていく。
暖かく柔らかい泥の中にずぶずぶと入ってゆくような感覚、
そしてすこしずつ、眠ったままの遠い記憶と鉢合わせをする。
感覚の質と相性がすこしずつよくなって、
夢の中の為体の知れぬものの速さとなって、
あたかもバイオリンの弓にロージンを塗るように、
バイクのオイルや、排気音とかさなっていく。
エンジンの音や振動が、
重量と強いくせのあるしっかりしたフレームから、
シートをこえ、僕の両足や腰に伝わってくる。
僕はバイクに跨りながら、
とてつもなく広いスペースの中にいるような気がする。
何故こんな小さな島国の、こんな小さな町にいるのだろう、と。
でもその不思議さも次第に膨らみながら、繋がってくる。
脳細胞を逆撫でにされたような違和感、本能という動物的な感覚。
だから信号機の前でタンクを太鼓代わりに叩いてしまう。
別に森に生きるアマゾンの先住民というわけじゃないけど、叩く。
「生きるって難しいよな」
「求めたものが叶うなんて決まっていないのに、
それでも人はそうであるべきだと信じてる・・・・・・」
「だから努力して、色んな方法を試して、
できるだけ上手くいくように取り組むんだ」
夜になれば川辺や、
公園の共同椅子でビールを飲むことができたし、
そうでもなければ子供時代の追憶に浸らせてくれる山や、
野原や、思い出の場所があったし、
かくもあらんバイクで海まで、
あるいは知らない何処かの街までぶっ飛ばすことが出来た。
時には真兄のラィディングスーツにフルフェイスをかむった。
風になっている間、
日常における嫌なことの何もかもが消えてくれるような気がした。
見知らぬ町へ行くたびに、僕は僕でなくなってしまうような気がして、
それでもそれが新しい自分を見つけることだと信じていた。
けれど、いまは一人でじいっと考えていたかった。
遙かにうちつづく平原から感じる大空間意識、
顔を出している月はまるで外に通じるドアの狭い隙間みたいに思える。
いま、バイクはライフル銃の弾丸のように回転している。
そして魔法にかかる。
前後のタイヤ、ブレーキの操作、
そして幸せな緊張感が、ひっきりなしの身体のあちらこちらに訪れる。
大地震のあとに起こる無数の小さな余震のように、
それらは自然の総体だ。
五感と、反射神経、筋肉の微妙な動きにまで僕は寄り添っている。
タイヤにあたる小石や、街燈の周りを盲滅法飛び回る蛾も見え、
ちょっと汚れた標識も、
深海の燐光を帯びて現れるようなカーブにも僕は立ち向かっていく。
オーグスケープ
拡張風景―――。
蝙蝠が飛び立つように、眉は動く。
眉間に皺は寄る。
それこそ梯子段でも踏み外したような、
幼稚な嫌がらせだということはすぐにピンときた。
くわっと口を開いて鼠や蛙をくわえた蛇のように、
爬虫類的な本能。
画面の情調が大きな角度でぐいと転回してわき上がる離別の哀愁・・。
こんなおよそ正常ではない場面で、
事実を隠蔽され、歪曲され、
真実が何一つ伝わらないことなんて、
世の中には山ほどある。
自らの肉体を資本とする賃金労働に従事し、
報酬として得た金銭で生命維持、
すなわち資本としての身体を維持し続けているからだ。
では、こいつらはニートなのか?
やぶれかぶれなのか?
社会不適合者なのか?
轢き逃げなんか代表例だろう。
数珠玉のようにつながりながら、この意味のわからない積み木細工現象。
僕は壜の中の蟻を見ているような気持ちがしてくる。
大きく引き寄せてゆくクローズアップと周囲がぼける圧縮効果・・。
微弱な電流が、肌の表面を無数に駆け巡ってくる。分節線。
理由は一切不明だが、滅入った心に閃く。
“車なんかに乗ると優位性を持ったり、
誰かを支配できるとかいう気持ち”になるものらしい。
前に何処かの記事で読んだことがある。
“パワーがあって速い車や車体が大きい車などに乗った場合、
その車の強さを無意識のうちに、
自分と重ね合わせてしまうことがある”らしい、と。
“人間という生理期間の構造に規定された周期性”
“心理的な周期性ならびに環境よる種々の周期性”
―――人格が変わる。
それは本当に脳天から尾骶骨までピーンとくるような感じだ。
(瞳が据わってきて、黒めがちになっただろう、と思う、)
それは凸レンズのように透き、盛り上がっている。
眼に火薬が炸裂したように、僕はもう我を忘れた。
僕はスピードを落としながら、車の助手席の扉をバコバコ蹴って、
「降りて来い」と言った。
漫画だったら一頁に三十コマ以上もあるような細かさ。
一つのシーンを数多くのカメラでさまざまなアングルから撮影するように、
不安の念、緊張の念、移動する眼、警戒する心―――。
運転手がブレーキをかけたタイミングで運転席にまわりこみ、
窓硝子を右拳で叩き割って、そいつの首根っこをひっつかまえ、
足でガンガン窓硝子を割りながら、そいつを引きずり出す。
運転手いれて三人、全員男だったが、
他の奴は身動き一つできなかった。
過激な行動に出る、)
a.タイミングを外さない
b.常に状況を分析する
c.直感や閃きの一瞬を意識する
『年齢』や『体格』ではない、
『度量』だったり、『性格』である。
視線の時系列変化―――。
制限時間内により多くの案件を処理する思考ゲーム・・・。
直流から交流への変換装置―――遠近感の拡大・・。
誰だってそんな気合の入ったやられ方をされたら身動きできない。
闘争は白熱化する、火のような革命的な思想主義者の正論。
複雑な歯車、それでも無意識に求めている選択と許可。
気息音のあとの破裂音―――。
「てめえ何やったかわかってんだろうな!」
コンベクション
対流・・・抽象物の誘導体。文字の屍。
―――蛙に催眠術をかけている大蛇の魔力・・。
、、、、、
――焦点位置を。
[選択範囲]⇒[境界線調整]
――口の中の味、血の味、鉄分、ヘモグロビンの味・・。
遠慮も斟酌もない、早口に叫んだ言葉。
人間の頭蓋骨骨を噛み砕く、肉食動物。
もちろんそんな風に無理矢理引きずり出すものだから、
腹部に刺さった。
苦悶の声が静かな峠の道にピンポン玉のように響く。
既に涙目で、戦意喪失している相手だが、
さらに胸倉を掴んで後部座席にいる連中にも見えるように、
車の硝子に二、三回ぶつける。
その時、鼻が折れたのか出血しているのが見えた。
(ちなみに僕が胸倉を掴まれていたら、その指を折る、)
そのあと、どうにもつなぎ合わせようのない嵌め絵のように、
腕に覚えのある僕は痛めつけた。
(これも日頃の鍛錬の賜物、
殴ったら拳が痛いということも知らない、)
関西風に言うと、シバいた。
憐れな生物のように吐血し、歯が一本折れていた。
電影的な残像をのこしながら、
上腕二頭筋の筋紡錘への振動刺激―――。
―――上半身と下半身、膝の角度、手の力、全体の・・。
「ふが・・・・・・ふごっ・・・・・・」
基本的に、何もしなければ僕は何もしないが、
一度やられたら、眼には眼を、歯には歯を、と考える。
―――暴力が手に負えなくなるのはきっと、
『抑止力』とか『正当な防衛』だとかいう理屈を並べて、
暴力が正義の色を帯びた時だ。
ストレス発散のスポーツ観戦も、きっとそうだろう。
僕はそいつが動けなくなるのを確認したあと、
車の後部座席のドアをバンバン蹴る。
シークエンス アドバンテージ
連続、有利な立場、
能動的騒音制御ー打消し。
クロッキー
速写画。
「おい出てこいや、まだ窓硝子割ってあいつのようになりたいのか」
あきらかに・・・さけがたい―――しょうどう・・。
まったく―――じめいの・・げんり・・・。
・・・句読点。
まるで恐ろしいコンクリート・ミキサーの中へと吸い込まれ――る・・。
頭のネジが百本は外れたようなことを、言う。
おとなしく出てきて、おうそうか、いい覚悟だ、
いまあいつと同じようにシバいてやるからなと思ったら、
>カメラのファインダーが切り取ってゆく。
>下手糞な漫画なら、身体のサイズがいびつになって向かい合う場面。
「勘弁して下さい」「俺達が悪かったです」
と直立不動で、背筋伸ばして言ってくる。
口の中の酸っぱさ、納豆のような粘着。
アクセル操作のレスポンス、点火タイミング―――。
シリンダーとピストンのあいだに隙間ができる・・
予兆もなければ猶予もなく、それにうまく二の句が継げない・・。
>>>自分はそれを認めない。
表情は―――。
表向き、なりゆき、建前、セイフティを外す・・・・・・。
「おいそれ何の漫画だ?」
「へ?」
魚のように口をパクパクとさせている。
一秒か二秒の静かで緩慢な気配が通り過ぎてゆく。
「何だそりゃ、それ全然笑えねえぞ」
とりあえず一人目を顔面パンチで鼻を折る。
ファインダーでフォーカス・ロックするような、眼。
―――新しい状況は、
古い記憶との間に境界をたてる・・。
バタンと後ろに吹き飛ぶ。
イタイタイタイ...
地面にのたうちまわる奴の腹部を思いっきり蹴っ飛ばす。
踵から脛の筋肉―――腹筋、体重を爪先へ・・。
右足と左足によって常に三角形は生まれ続ける。
足の裏に影はつくられてゆく、付け入る隙もなく、
完璧に―――完全に。誘導法。あるいは、盲目の花売り。
「うるせえ」
そんな理屈が通るなら、なんであんなわけのわからないことをしやがった。
ザー・グロー・オブ・ザー・コール
石炭の赤熱。
「お前、ヤクザの事務所に入って、
拳銃ぶっぱなしてその理屈通るか考えてみろ」
、、、、
おいこら。
「通らねえだろ、そんな理屈はよ!
蛇の穴に手を突っ込んで咬まれねえか、考えてみろ!」
もう一人も同じように顔面パンチで鼻を折る。
―――即答。
彼等は“狩る側”のつもりでいたかもしれないが、
たんなる“狩る側の真似事”をしていただけだ。
―――顔面がパンパンに腫れるまでシバいた。
舌の付け根へと落ちてゆく。でも、交通整理は終わっていない。
片方の耳の奥では、動脈の張る音が高く明らかに鳴っている。
「世の中には出会いがしらで包丁を突き立てるアホもいるんだ、
戦争時の囚人施設なんかじゃ、逃走した奴は面白半分に殺された。
俺なんかまだ可愛いもんだろうよ」
二〇一八年の新幹線内殺傷事件、
二〇一九年の川崎登戸通り魔事件。
提案、調整、促進されて、いつのまにかお誂え向きの棺桶が
出来上がっている。
気道の閉塞をした自分のためのアクセルペダル。
ある瞬間に、ふわりと軽いクリームのように思えてくる。
ディペンダビリティ
―――【大規模集積回路】
、、、、、、、、、、、、
でもそういうことではない。
おそらく骨に何か所もひびが入っていただろうと思う。
外堀を埋めて搦め手からの攻めに転じる。
最後にはもう全員、泣き崩れていた。
感傷的な繰り言も、
古いかさぶたのようにぽろりと剥がれ落ちていた。
「いやお前、それぐらいで済ませねえぞ」
僕はそう宣言すると、三人とも正座させ、髪の毛をライターで燃やした。
髪の毛がちりぢりになるまで、続けた。
もはや一人がそれをやられているのを見ながら、
二人はなすがまま見ていた。
抵抗する意欲がないとわかってもなお、僕は止まらなかった。
「時間短縮だ、
お前もお互いの髪の毛をライターで焼け」
もう、無茶苦茶である。でも、やらせた。
「俺が優しいからこんなことで済んでんだぞ。
わけのわからんことをしやがって、
生きているだけで迷惑だ、クソヤロウどもが」
「勘弁してください」
と、財布を出して、土下座して泣きをいれてきたが、
金なんかいらない、金が欲しいのは物乞いや、泥棒である。
「いまになってウジウジムシムシしやがって、てめえらオカマか、
いやオカマだったらもっと上手くやる、お前等はもっと底辺だ、
、、、、、、、、、、
段々いらいらしてくる。
「いまさら何言ってやがる!」
おさまりがつかなかったので、
車に乗り込みアクセルを踏んでガードレールにぶつけて、
ばこばこに壊した。
燃料系、総走行表示―――。
時間は経過しない。しない・・・。ゆらゆ―――ら・・として。
さらに鍵を引っこ抜いて、藪に投げ捨てた。
彼等は地獄絵図を見るようだったかもしれないが、
こういう手合いっていうのは自分がやられないと一生気付かない。
膿んでるんだ、色素が沈殿してるんだ、豚の白いねじれた腸なんだ。
中途半端な奴等ほど増長する。
そしてそのあと、血だらけの運転手の顔面を蹴って、
「次見つけたら、大阪湾に沈めるからな」
と、三十数分にも及んだ、やくざなこと終いをつける。
―――いま、そんなことを思い返しながら、
しびれ薬をしこんだ針のように、
雷に打たれる。
いや、明らかにやりすぎである。
殴るのもどうかと思うが、
別に顔面パンパンに腫らして次の日飯食えなくするぐらいでよかったはずだ。
自分が強いから、相手の理不尽な行動が許せないからという正義を援用して、
一生ものの心の傷を与えようとする。
思春期の時期って生きていくことの必要上から、事務的よりも、
もう少し本能に喰い込んだ協調やらいたわり方を暗黙のうちに交換して、
それが反射的にまで発育している。
その時の自分はそこまで徹底的にやらなければいけなかった。
漠然たる淡いイメージが街並みのしずけさに消えた・・・。
〔早送り〕してしまいたい展開というのがある。
〔巻戻し〕をしたいという展開と同じように。
、、、 、、 、、、、、、、
―――自分も、人も、こんなにも遠い・・・。
見慣れぬ動物の・・・・・・静止状態的報告―――。
見ないようにはしていても、遠い顔がぼやけた視野のなかに動く。
「不意の出来事に驚きあきれて、茫然として見ていたら、
それは済んだことなんじゃないか・・・・・・」
「何もあそこまでやらなくてよかった」
パワーホルダーの一方的な行使という構造。
相手が屑だった、どうしようもない奴だった、
そしてどんな道徳的なきれいごとも、暴力の前では、暴力以上の方法はない。
(僕は今でも、腕立て伏せ、スクワット、腹筋×100は欠かさない、
何事も基礎体力である)
最後は、人の立場に身を置く。誰にも命令はしない。
思考錯誤型の学習。
愛がヒューマン・ドラマで用いられるのは悲しい錯誤。
そして力のない正義は無力だ。
きれいごとだらけのスローガンじゃ人は救われない。
死刑というものだって第一に暴力だ。
ある荒々しい、不自然なもの。
僕等の言葉は入口と出入り口を思い込みで形成しすぎている。
ある一場面と次の一場面との空間的関係を示すような注意。
声が光の筋になって、見えない糸のように思えてくる。
ラベルのつかないばらばらの断片じゃないか、でも・・。
泳いでゆく・・。
――忘れられない夜も、忘れたい夜も・・。
、、、、、、、、、
物質教の迷い子たち。
「もしあの時、車の幅寄せでバイクにあたっていたら―――」
「もしあの時・・・・・・」
、、、、、、、
心が冷たくなる。
何を考えているのだろう、と思う。
でもそう思いながら、
平和的な解決手段をと思ったところで、その時の僕ほどではなくとも、
やっぱりいまの僕もある程度のことはするだろう。
姿勢を観察し、立ち位置を把握し、決意し、行動に移せるまでの時間は、
一秒ですら遅い。電車の席でもし隣の人が包丁で刺してきたら?
渋滞の列で、誰かが拳銃を持って撃ってきたら?
どうして起こらないといえるだろう?
暴力は許さない、警察が守る、自衛はする、正当防衛もする。
屁理屈だ、頭のおかしい奴はいる、そして危害を加えられて泣き寝入りか。
動物が腹が減って動物を食べるのは、本能だ。
でも考えてみればいい、政治に文句をつけるのと同じだ。
政治家を殺してみたらと考えればいい、
全員クズだ、だから左翼だの右翼だのと、
わけのわからないご立派な主張が並ぶんだろう。
国の運営が止まれば凶行の前とは比較にならないほど、
悪い状態が長期に渡って訪れる。
福祉も配分されず、年金生活者も困る。外交もストップする、
企業や大学の研究、道路工事も止まる。
政治に文句をつけるのはいいなんて、
一体誰が言ったんだ?
それは硬度の高い鋼にクロームメッキを施すようなもの。
自分で自分の頭を殴っている、
犬が自分の尻尾を追いかけているのと何が違う?
(国会議員の評価システムを作り、
その評価をする側の評価を作ればいい、
外国人だけの第三者機関を政治的な組織として作ればいい、
政治に国民をあげればいい―――でもそれをやる人間はいない、)
、、、、、、、、、、、、、
じゃあたんなる時間の無駄だ。
頭が良くたって一緒だ、頭のいい人間はそういうのと絶対に関わらない。
時間の無駄は無数の扉を開いているのを見ていない言い訳だとしても。
嫌な汁をいっぱいに含んだ海綿。
濃厚すぎる狂気は8ミリの古惚けたフィルムがかたかた回るように続く。
ひとつの決まり事、複数の決まり事を作っても、
あちらを立てればこちらが立たずといった形になりやすい。
―――枯れ葉がこすれるような乾いた声が洩れる。
、、、、、
息が苦しい。
そのぬるりと顔を出す暴力の影のたくらみは、
いつでも心の底から現れるのだ。
張り詰めた空気の中では、世間の棘をやわらげる包帯は見つからない。
固めた拳は、眼の中のゴミのように目立つ。
規則と連続性、場への介入と枠組みへの問いかけ。
排水溝にミニチュアの廃墟みたいなものを組み立てる、
ストリートアーティストみたいな吸殻がある。
人間に天敵はいないわけじゃない、
自動車とテレビを衝突させるパフォーマンスみたいに、
人間の天敵が、人間になったというだけのことだ。
そして思い出せばそんなこと、何度も何度もあった。
*
*
「人を殴りたいならボクシングをやりなさい」
―――と、いつだったか、ゆかりが言った。
そして僕の頭をポコポコ木魚のように叩くわけである。
それも、十本の指ではおさまらない、
あなたは、ポコッ(?)
本当に、ポコッ(?)
およそ喧嘩で無傷で相手をぶちのめしてきたぜ、
みたいなそのあとに、本当の刺客―――(?)
、、、、、、、
ポコタマシーンと対峙する(?)
そういえば、当初はゆかりの友達の女の子が、
僕にそんなことをしているのを見て、
あわわ、あわわ、と言っていた。
あわわ、って漫画の台詞でしか聞いたことがない。
けれどそんな子にも演技指導はする、ちょっと君、
あわわの時は、口に手をおさえて。
、、、、、、、、、、、、
そしてゆかりにシバかれる(?)
「自分が嫌なことを相手にするのは最低なんだから」
*
We are classmates,
not lovers, and we cannot be friends.
(One secret created a lie,