ボウフラのようにせっかちに細切れのシーンに浮き沈み、
さながら風のない池か沼にでもなったどんよりとした気分に、
耐え切れなくなった僕は、
、、、、、
真兄の部屋を開けて、
たぬきみたいな顔をしながら、
言葉の説明でつかまえようとすると、
ふいに消えてしまう不思議なかげろうのように、
(パッ...あら不思議、)
壁に掛けられたフックから、
バイクのキーを借りていく。
(「盗む」という言い方もある、)
勉強していたらしい真兄が回転椅子でくるりと僕を見て、
(優等生なんだな、)
親指を立てながら言う。
部屋だというのに、ファッションモデルみたいな恰好をしていて、
(実はブログでファッションモデルの真似事をしていて、
かなり人気らしい、)
裾が短いズボンだし、海外通販で買った変な柄の服だけど、
それは一言でいって、ジョジョだと思う(?)
聞けば、事業の紹介、通販サイトの宣伝、
テレビショッピングのノリで答えてくれる・・・。
時々お前、部屋なんだから帽子ぐらい外せよ、と思う(?)
ちなみに真兄は、
中学生だろ、免許はどうしたとか余計なことは言わない。
父親なら言うかも知れないが、真兄は言わない。
「兄さん、何処へ行くんですか?」
「ちょっとそこまで」
、、、 、、、、、、 、、、、、、、、、
これは、コドモたちが、オトナ語を使う時代(?)
*
それは僕に空き壜や、ゴム製品や古靴や、
無数のタイヤのある山奥のゴミの堆積を思いさせる・・。
時計のゼンマイがもどけにもどけすぎてしまうような、
そんな時間・・・・・・。
でも、安心だ、
ここに物質を朽ちさせる風化の魔法はまだかかっていないし、
何しろマイカーはなく、あるのは自転車とバイクである。
(家族旅行はもちろんレンタカーだ。何の心配もいらない。
そして梅雨時や、集中豪雨の時にコンクリートから、
水漏れしているのを見る)
でも大丈夫だ、僕はそれを見ながら、
サントリーの企業理念である、水と生きる、
という言葉を思い出すナイアガラの滝(?)
(マストの上の水夫みたいに非現実的なまでの大海原を眺める、)
みんな、罵倒する言葉を探しているんだ、
ピュアとかナチュラルとかイノセントとかいうものを拒む、
なまぐさく澱んだ血の連環、あるいは、交差点・・・。
魂 の 奥 深 く の 、
得 体 の 知 れ な い 領 域 へ 入 る 度 、
僕 は 見 劣 り す る 、 バ ラ ン ス の 悪 い 、
そ し て 、 隙 間 風 の あ る 、
本 当 の 自 分 に 気 付 く 。
「(誰だって本当の自分などというものを考えれば
それはみじめで、みっともないものだと思う・・・)」
「(腹ん中が腐ってて、ぐちゃぐちゃで、気持ち悪くて、
でもそいつもまた愛そうとする・・・・・・)」
見えすぎるのも考えものだなって思う。
―――真実は氷山の一角、環境の名称にすぎないよ・・。
●ベトナムの通勤風景。
僕はベトナムだったかタイだったか忘れたけれど、
日本の漫画やアニメをパクった漫画の話を思い出す・・。
奇跡的な下手さでオリジナリティを保つ。
僕はセブンスターにシュボッと火を点けながら、半ヘルをかむる。
オートバイというのは基本的に輸送手段ではなく、
趣味の範囲に入る製品だ。
ちなみに統計的にはインドと中国におけるオートバイの台数が、
突出して多く、インドや中国ではオートバイはほとんどが、
実用目的で使われている。
先進国の台数は相対的に小さいが、高価格帯の車種も売れており、
モータースポーツも盛んで、趣味や道楽として楽しむ人も多い。
、、、、
けれども、
(ここがすごく面白いところなのだけれど、)
質問を変えて、
という問い掛けをしてみると、
(これは手入れが絶対必要な旧車の世界にも言えて、)
壊れても乗りたいブランドもある、
それはスポーツタイプで尻や腰が痛くなるとわかっていても、
カッコいい、乗りたい、という気持ちとよく似てる気がする。
褒め言葉だけど、バイク乗りって馬鹿だから、
真兄の部屋から、かっぱらったバイクのキーを、
タンデムシートの線をなぞりながらガソリンタンクへ。
次第に鍵穴へと迷い込み、
イグニッション・キーを差しこむ。
多くのバイク乗りというのは、
冬の日の朝に持ったコーヒーカップみたいに、
妖精を探したりする。
*
*
バイクは古い型のゼファー。
(西風、そよ風の意らしい)
話によれば、
レーサーレプリカ全盛時代に、
敢えて懐古的なカウルなしのスタイルを前面に押し発売。
これがフルカウル以外の選択肢を求める、
ユーザーに受けて爆発的な売れ行きを見せ、
ネイキッドブームの立役者となった。
(評価される、時代を作る、とかいうのを考えると、
僕は映画『ファイナルファンタジー』のCGとシナリオのギャップ、
不気味の谷現象とかを考える。それは、
チャチャというサービスとか、ヒート・ネットとか、
敢えて自主規制を意識しない馬力設定は、
過熱しすぎていたカタログスペック競争に一石を投じることとなり、
ユーザーのバイクの選びのスタイルが変わる、
、、、、、、、、、
ターニングポイントとなった。
このゼファーのヒットは、
レプリカブームにおいての販売不振により撤退も検討されていた、
川崎重工業の二輪車事業を、
同社の大きな収益源に生まれ変わらせる原動力ともなった。
川崎重工業はZEPHYRと名付けたいためにフォードとの交渉を行い、
名称の使用権を得たという経緯がある。
といっても、そういうのは蘊蓄にすぎない、
バイク歴が長くなるほどカブに一目を置くようになるみたいなものだ。
けれどもそういう物語というのは、
僕の父親の友達のバイク乗りにとっては大切だったと思う。
それが人生の中の一齣を彩る構成要素だからだ。
工賃をけちって自分で直そうとしたということもあるにせよ、
これまで長年親しんできた、何度も何度も手入れをした、
そんな労わってきた相棒との別れ。
、、、、、
戦友である。
バイクに卒業はないとか格好いい意見はあるけれども、
妻がもうそろそろいい歳じゃない、
あなたその趣味はおやめなさい、と言ったらしい。
思わず全身の毛穴が凍る、氷った血が心臓に流れるような、
―――よくある高齢者問題。
、、、、、、、、、
最初は男のロマンだ、
俺はこいつと死ぬんだとか言っていたが、
(男のロマンとはそういうものだ、馬鹿と紙一重だけど、
論理で追っている以外に表現を与えること、それがロマンだ)
でもバイク乗りあるあるだけど、
やっぱり事故は避けては通れない道で、
彼等が事故の話をすると、
大抵よく生きてたねみたいな感じになる。
そういう時期と重なって、
(怪我こそしなかったらしいが、あわや死亡事故だったらしい、
カーブを曲がり損ねてというオーバースピード、眼の錯覚、)
奥さんの愛のあふれる説得の末、とうとう折れた。
まあ、締まりのなくなった時の弱音っていうのは、
どこからでも勝手にこじ開けて出てきてしまうものだ。
正論って言い方もあると思うけれど、
聞く側の心理状態に尽きるところもある。
ともあれ、勲章がいくつも入ったバイクは、
どの店に行っても値引きされ、引き取り価格が安かった。
(いまは値段が上がってるみたいだけど、)
戦友を手放すというのに、
こんな扱いを受けては我慢できない。
ということで僕の父親に相談し、誰かバイクがいる奴はおらんか、と。
値段の面では出血大サービスで十万円ほどだし、
しかも完璧に手入れを済ませているので、
はっきり言って大損であることは間違いない。
それでも、このエピソードってとても胸が熱くなる、
しかもこの人は、自分の事故から次の乗り手のために、
バイクライダー用のエアバッグまでプレゼントした。
さすがにそこまでされたら男の沽券にかかわるとばかり、
父親もボーナスを全額利用して、
ぽーんと車をプレゼントしたらしい。
なんというか、素晴らしい友情である。
母親がキレそうなエピソードではあるけれど、
そんなバイクに乗りこむ。
*
、、、、、、、、、、、、、
股ぐらの下にエンジンがある。
ふたつのシリンダーの中で、
空気を薄めて生ぬるい蒸気にするような混合気の燃焼が、
繰返されている。
いつだって―――。
いまだって・・・・・・。
バリアフリー、ユニバーサルデザイン、
ノーマライゼーション。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
でも強い雨ほど興奮するなんて一体誰が教えてくれるだろう?
マンホール、植込み、
切れかかった蛍光灯なんかの巨大な空間の多様な刺激が、
、、、、、、、、、、、、
バイクが学校を通り過ぎる。
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*
●ある程度の知名度を持つようになると、
そこにはファンというのがいる。
認知症の徘徊のように、
父との確執、母の不在、
様々な問題を抱えた人間たちにおける、
救済措置、偶像化、でも時には、
―――それは精神の駆け込み寺だ。
《ローマ最古の成文法である十二表法の第八表には、
夜間盗みを行った者を現場で捕らえたとき、
被害者は殺してもさしつかえないという規定があり、
盗みに対する制裁措置が過酷であった―――》
、、、、、
という記事。
愁いを吸い取ってくれるような気持ちが思い出せる―――計画書。
、、、、、、、、、、、、、、、、
しかしそれは上下方向にうごめく線。
*
●道路は殺風景な棺桶の行列。
その行動と表情を子細に追跡すると、
頽廃的な民謡でも聞こえてきそうだ。
SNSの普及と流行によって、写真、
そしてセルフポートレイトの在り方は大きく変化した。
そんなことを考える。さて、グリッド状の白い線が現れては消え、
まるでCG撮影のセットや編集画面が剥き出しになったよう。
交差点で右折して外環へ入り、
びっくりドンキー、ブックスファミリアなどを越えてゆく。
やがて旧道に入り、淋しい気持ちに駆られてくる。
消失と出現の狭間をさまよう古墳の風景がちらつく。
(風景というのは、要素を単純化し、遠近法で理解する。
立方体、円柱、球、および三角形・・・・・)
そして秀一の家へ行けば、
その姉たる希美衣さんが僕を甘やかしてくれた。
という話があったけれど、
重量と強いくせのあるしっかりしたフレームから、
「生きるって難しいよな」
「求めたものが叶うなんて決まっていないのに、
それでも人はそうであるべきだと信じてる・・・・・・」
「だから努力して、色んな方法を試して、
できるだけ上手くいくように取り組むんだ」
遙かにうちつづく平原から感じる大空間意識、
顔を出している月はまるで外に通じるドアの狭い隙間みたいに思える。
いま、バイクはライフル銃の弾丸のように回転している。
そして魔法にかかる。
大地震のあとに起こる無数の小さな余震のように、
それらは自然の総体だ。
五感と、反射神経、筋肉の微妙な動きにまで僕は寄り添っている。
タイヤにあたる小石や、街燈の周りを盲滅法飛び回る蛾も見え、
ちょっと汚れた標識も、
深海の燐光を帯びて現れるようなカーブにも僕は立ち向かっていく。