アムウェイについて
アムウェイとかいう、
古参のマルチ商法業者に、
消費者庁から業務停止命令が出された。
六か月。
消費者庁という国家機関から特大の雷。
コンピューターネットワークの時代でも、
起承転結があって、オチがあって、
人の心がちょっと動くような甘い言葉。
紫白の紫陽花の毬花みたいだ―――ね。
景仰と畏怖が混ざり合った気持ちなんか存在しない。
襟を正さない。
特定商取引法違反で、
消費者庁は同社へ新規加入に対する取引停止命令を出し、
この命令に従わなかった場合には、
三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金の刑事罰が課され、
この命令は行政勧告や行政指導と異なり強制力を伴う。
何処吹く風なんだろうか、
世界が騙してるとか言うんだろうか。
言葉が意味として成立する条件は、
自己と他者の認識している世界。
またそれをとらえる主体や成立条件によって、
必ずしも同一ではなく、主体に委ねることを前提としている。
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閉じられた墓だよ。
クレジットカードや運転免許証を無くし、
身分証明書の番号も思い出せない。
店舗や銀行に相手にされず、
ようやくたどり着いた再交付センターでも、
手がかりの番号を示せず、路頭に迷うみたいな、
―――アムウェイ式。
この種の勧誘では、
「食事に行こうよ」
「イベント来てみない?」
と目的を隠して誘う。
そこには様々な心理学がある。
脳内に巣食うたくさんの幻影が自分を行動させている、
―――言語的可視化せよ。
そして人の感情を逆なでする、プチ自慢。
自虐要素ゼロのピカピカの自慢。
クリーニング店に出したら服に、
しみがあったって文句を言われる場面なんか存在しない、
別の宇宙に生きている人々。
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なめきってる奴等の群がり。
既存のモデルを下敷きにすれば、優秀なものはつくりやすい。
また自分の考えを補強する案よりも、
むしろ自分が考えていなかったような視点をくれる案を好む。
考えてほしい、
学びがあるか、
分かり易いか、
新しい視点があるかの、
三原則である。
何気なく誘われていったら、
アムウェイ信者祭り。
洗脳の始まり。
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操縦士のいない爆撃。
マッチングアプリでも同様の手口があって、
逮捕されている。
販売網に参加させる人が多くなるほど、
上の人が儲かる仕組み。
無限連鎖の、ねずみ講。
そして最後には借金が残る。
マルチ商法のビジネスモデル(お金の流れ)を説明し、
そのモデルに従えばあなたは確実に損をするということを、
定量的に伝えることが何故か難しい。
耳がないのだ。
眼がないのだ。
お金を得ること=夢をかなえることという共通の価値観が刷り込まれ、
それを崇高視しすぎるあまり、
友達など大切な人間関係を犠牲にすることも厭わないほどに、
罪悪感が欠如または麻痺・・・・・・。
マルチ商法は、
孤独な人間たちの哲学なのかも知れない。
僕はそれを共産主義とか社会主義のように思う。
真っ当な人間なら誰だって一度は考える。
借金って一九六〇年代までは、
健全な消費者の発想のものではなかった。
けれど所得水準が上がり、
ある程度の借金なら無理なく返済できる余裕ができ、
また借金も目的によっては、
生活をより充実させるために役立つことが、
広く認識されるようになったことから、
借金する消費者は増加した。
何も変わらないのに、
言い方だけが大きく変わる、
―――借金。
相手に損をさせないっていう考え方や、
誰をも幸せにしたいっていう考え方は、
もう宗教の中にしかないんだろうな、と思う。
理想の中で夢を見る時代は終わった、
僕が気付いてるんだ、
僕はもうそういうところから一歩踏み出したんだ。
この手の人達は、
「人生楽しまなきゃ損!」
「本当にこの商品はいいから!」
とか言っている。
何だか麻薬みたいだなと思った。
段階の上位から下位へいたればいたるほど、
こういう考え方は強まる。
宗教も、マルチ商法も、
あるいは人間関係も夢も、
―――麻薬みたいだな、と思った・・・。
平気で矛盾したことを言う二枚舌というのは、
相反することを人に語り、
仲たがいさせる仏教語「両舌」
に由来するといわれる。
ギリシャの時代には、
僕等の時代における大抵のことが垣間見える。
本を読まないんだろ?
世界よりも目先のことにしか興味がないんだろ?
もちろんある地点まで状況が悪くなれば、
さらに行動はエスカレートする。
マンションの一室で契約を迫ってきたりもする、
僕も昔、創価学会の信者に同じような手口を受けたことがある。
彼等の場合は、金融リテラシーの低い若者に、
自由な時間と高い所得をちらつかせて、入会を迫る。
必死だ、上にあがれる瀬戸際なんだ。
誰を蹴落としてもいい、傷つけてもいい、
自分(自分達)さえよければいい。
どうして進んでそんなに、
人間の屑になりたがるのか?
相手の弱みに付け込む手法。
でもそれだけならまだいい、
よくはないけれど馬鹿な人達が馬鹿なだけでいい、
昨今話題の某新興宗教団体のように、
社名を隠して室内で監禁のようにして、
無理やり契約を結ばせる勧誘行為は、
徹底的に取り締まらなくてはいけない。