koichang’s blog

詩のノーベル賞を目指す、本を出さない、自由な詩人。

イラスト詩「世界はきっと、そこにあった 2」 *切れていたので修正

  *

新しい旅が始まる、と誰かが言った。
―――支配された軌道、啓示に満ちた歩行・・。

空飛ぶシロナガスクジラがいた。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・。

  *

森に対する土地感覚はあるので、そこが、
村とそう遠くはない場所にあることはわかった。
草の葉は血潮に染まっていた。
化物はこわいけれど、
熊や猪が出ることもあるので、そういう風だと思えば、
少しは恐怖が薄らいだ。呪われた世界だと思えば、
これはもう昔からアスカが思っていた一つの結論でもあった。
―――真偽の判断は聞く人の自由。

とりあえず、村へ向かって慎重に歩いていこうとする。
村の方から火事のような煙が上がっている。
それは狼煙のようにも見え、風雲急を告げる合図のようにも見えた。
貧血の神経衰弱にでもなったような気分になる。
村へと着くまでに、サキの母親に会った。
見慣れた顔が木陰から出てきた。
最初から実を言うと、人間だという風には見えなかった。
身体や雰囲気はともかく、眼だけは、異様に赤く光っていたからだ。

「アスカちゃん、大丈夫?」
そう言いながら、腹がパカッと開いて、二つの口を開いた。
それは弱者をますます弱者にする―――口だった。
「どうしたの、どうして逃げるの?」
―――逃げた。
どうしてもこうしたもない、そんな物騒な腹を見せられて、
お前が化け物ではない証拠を探す理由の方が難しい。
ピョーン、ピョーンと、サキの母親は跳ねながら追いかけてくる。
跳躍はやはり二メートルほど、だった。
わけがわからなくて―――本当に怖い。
普通に走った方が早いだろうと思うのに、意味がわからなくて怖い。
恐怖の象徴的な形態という風にも思えた。
「アスカ!」
と、そこへ、エリカ姉さんが来てくれた。
強いんだぞ、すごいんだぞ、エリカ姉さん、助けて・・。
ぐるりと背中へ隠れる。
サキの母親は、エリカ姉さんが手をかざすと、膝を落とし、
グウーッとか、ギャオオーッとか気色の悪い声をあげると、
崩れ落ちた。そして黒い瘴気のようなものが、
すうっ―――っつ・・と抜けていくのが見えた。
「これで大丈夫ね」
そう言って、サキの母親を抱き起す。
「エリカ姉さん」
「でも、さあ、村の方まで行くわよ、
みんな、集会場へ集まっているみたい」

  *

集会場は、村の中にある建物だ。
中には暖炉があり、食べ物の匂いがし、人の声が聞こえた。
立ったまま真剣に鳩首協議している様子が見えた。
肉食の鳥が獲物を狙うかのごとき語気。
その疑問に対する多くの答えを、
これまでの色んなことでもう見知っていた。
そこで、アスカは自分の両親と再会した。
「よかった、もう死んじゃったんじゃないかと思って、
はらはらしたわ」
母親が言う。
何故か、余所余所しい気もした。
どうしてだろう、もう母を母と思うことはできなかった。
「でも、十数人はもう、死んだのが確認されている。
あとで村長が話をするそうだ」
父親が厳かにそう言った。
やはり、余所余所しい気がした。
父を、父だという風には今後一切思えないような気がした。
それは血がつながっていることとは別に、
他人だという気がした。村のすべての人と同じように、
結局わかりあえない溝のようなものがそこにある気がした。

  *

ここにも絵画があった。
まるで自分以外の誰も見えていないみたいだと思った。
『弾力のある石と余白の美』
 
  *

かぼちゃの中にオルゴールが入っている。
それは村のネジと呼ばれている。
それは科学に対する不信であったり、
科学の持つ負の面を捉えている。

頭の中に文字が浮かび上がってきた。
『ハーディー・ワインベルクの法則』
有性生殖を行う種において十分大きな個体群の、
遺伝子プールからランダムに配偶子を生成して、
次世代を構成するとき、
対立遺伝子および遺伝子型の頻度は一定に保たれる”

その足元に、キリスト看板が落ちていた。
『キリストの血は罪を取り除く』と書かれていた。
おそらく、前時代のもの―――だろう・・。
ダリウス・ミヨーの『屋根の上の牛』が流れていた。

空飛ぶライオンが言った。
おちゃらけたような表情をしていた。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・。

  *

誰かが言ったような気がした。
それは自分の内側から聞こえてくるような気がした。

最後の夜が始まる、
―――天地改変の砂の領域・・。

  *

村長の話が始まった。
「おそらく、今回の騒動は、
村の供え物を食べたことで起こったのだろう」
何だか、アダムとイヴが蛇にそそのかされて、
林檎を食べた話みたいだ。
潜む闇を警戒するように見据えながら、
それは宇宙の始まりから終わりまで、巨大ブラックホールから、
これ以上分割できないところまで細かくしていくと現れる素粒子
みたいなものだ。
「この中に食べた者がいるなら正直に答えてほしい、
―――そうでなければ全員が死んでしまう」
「その必要はないわ」
と、エリカ姉さんが言った。
一歩前へ出た。
「村の怪異を止めるには、生贄を捧げる必要がある。
そのために、わたしはここへ来た。
わたしを差し出せばいい」
待って、と思った。
出さないでは堪らない足を出す。
「エリカ姉さん!」

私はあの時、村の供え物を食べた。
だったら、自分が正直に名乗り出なければならなかった。
踏み出す足は正直だ、上の空だ。
けれど、エリカ姉さんは、首を振った。
ハッと、アスカは気付いた。
言葉が出てこない、エリカ姉さんの不思議な力のようだった。
―――正直者は得をしない。

「どっちみち、答えは一緒だから」

ドミニカが一九〇〇年に発行した一枚の切手がもとで、
戦争が起きたという話を思い出す。
それは西インド諸島のイスパニオラ島の地図を描いた図柄だが、
ドミニカとハイチの境界線があり、
それが誤っていたことで武力を行使したという話。
無論、戦争をおっ始める連中にとって、
理屈など何でもよかった・・・・・・。

エリカ姉さんは村はずれの白い家へ連れていかれ、
その一部始終を見ていた。
それは特別な法廷だった。
暴力で救済を体現するところの機械だった。
男たちに鉄パイプと呼ばれる棒で殴られた。
名前の知っている人だった。
リーゼントをしていた。恐竜みたいなバイクが傍に置かれていた。
やくざな架空の地面にもてあそばれていた。
やめてほしい、と思った。でも言葉はやはり出てこなかった。
生贄であろうが何であろうが、
尊い生命であることにはかわりはない。
バギッ、とかボゴッという音が聞こえる。
咽喉を焼く薬、眼をえぐり出し、足を切り落す。
腕の力のその力の勢いをもって腕を捻り折った。
残酷さはとどまるところを知らなかった。
筋を引いた蛙の肢になった。
―――数十分続いた。
エリカ姉さんは―――死んだ・・・。
そうすると、村から瘴気のようなものが消えた。 
静脈の浮き出たように濡れたおおきな青い蛇に呑まれそうな時間・・、
次つぎと浮びあがるイメージは抽象的で複雑。
でもその感情の不規則な起伏によって物語は近付いてきていた。
村人は欣喜雀躍していた、
でもその外形は、理性と正義の支配する世界のものではない。
―――村は平和に戻った。

アスカは、エリカ姉さんに近寄って泣き崩れる。
犠牲の上に成り立つ平和も、
その平和に大喜び連中も吐き気がするほど嫌だった。
何より自分がしでかしたことで傷ついたのが堪らなかった。
全身痣だらけのDVを受けた女性のような具合で、
鬱血した皮膚は変色し、どす黒かった。
全身がばらばらになったダルマ女の最終形態のような姿は、
村への信頼、両親への愛をもすべて粉々にしていた。
その時、白い家から出てきた光が、
エリカ姉さんの傍へ近寄ってくる。
それは、エリカ姉さんの傷を癒しているようだった。

「アスカ・・・・・・」

開口一番、自分の名前を口にし、やさしく微笑んだ。
恨むとか、そういう感情を持たない、心のきれいな人・・・・・・。

「エリカ姉さん! よかった、エリカ姉さんのおかげで、
村が元通りになったよ、ほら」
「うん、それじゃあ、わたしの仕事は終わりだね、
もう、帰らなくちゃいけない」
「・・・・・・帰っちゃうの?」
「―――今度、村に手紙を書くよ、もしその気があったら、
わたしの家を尋ねにおいで」
「行く、絶対に行く」

エリカ姉さんは、白い家を見た。
暗示的な場面―――。

「昔、ここにはわたしの家があったんだ」
「・・・・・・エリカ姉さんの家が?」
「わたしたちは先祖代々、不思議な力を受け継いできた。
この白い家は実は両親なんだ、
二人がこの村を守るためにいられるようにって、
姿を変えたものなんだ。
長い戦争も、人類の九割以上が死に絶えたあとも、
ここをずっと守ってきた。世界が一つにくっついたあとも、
言語が一つになった後も、ずっとそうだった・・・」

語られる歴史、
そして終わってしまった歴史・・・・・・。
懸命な努力、空転する言葉、言い知れない裏切り、
村が、しきたりが、そこにいる人間が―――。

冬の絶対零度のように思えた・・・・・・。

「・・・・・・その話、学校で習った」
「歴史にはいつも悪魔が暗躍していて、
これは人の心の邪悪が生み出したものだった」
「・・・・・・わからないけど、エリカ姉さんが言うなら、
信じられる」
「ここは、始まりの村なんだ、
あなたも、ここの村にいる人も、これから何世紀もかけて、
もっと大きくなっていくの、
わたしはそれを見まもるのが仕事、わたしが死ねば、
次はわたしの子供が見守る」
「うん」
「両親と話できてみたいで、よかった。
アスカ、またね、また、会おうね」

これまでにどんなことがあったのかを多くは語らずに、
エリカ姉さんは、村の外へと歩き始めた。
その方向から、朝陽が射しこんでいた。
その向こうには涙と呼ばれる海がある。
それに触れると身は焼けただれて死んでしまうと言う。
エリカ姉さんはそれでもそこへと行くのだろう、
そんな気が―――した。

  *

白い家には掲示板が立てられていた、
そこに、絵が飾られている。
それ以外に見た絵はすべて消えてしまっていた。
『悪意なき地獄と忘れられた肖像』

自分の影にはいつも女性の髪の毛が落ちている。
村ではよくあることだ、それを呪いという。

メラビアンの法則
“人と人とのコミュニケーションにおいて、
言語情報が七%、聴覚情報が三八%、
視覚情報が五五%のウェイトで影響を与えるという、
心理学上の法則の一つ”

眼に記銘される・・・・・・。
その足元に如雨露の先にある蓮口が落ちていた。
それをアスカは拾った。
フランツ・シューベルトの『婚礼の焼肉』が流れていた。
―――謎の使命感に駆られながら空を見上げた、
世界は急激に見方を変え、森は肉の塊に見えた。
それは脈動し、
エリカ姉さんを取りこもうとしているように見えた。


空飛ぶティラノザウルスが言った。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・。
いや、見間違いだろうか・・・・・・。
否。否。
―――もう、隠すことはできない気がした。

今度はもう、誰かが言っているのではなく、
自分がそう言っているのだと気付いていた。
その微妙で入り組んだ状況を語る言葉は、最初から存在し、
それは断片を一つずつ積み上げていくのではなく、
最初から存在しているものに存在を合わせることだった。

―――次元の眼を与えよう、
聖なる善の波動と、不死の精神・・・・・・。
わたしは水だと、その時、直感した・・。
大いなる風が身を包んだ時、アスカは両性具有者になり、
大人の身体を手に入れ、導かれるように、促されるように、
白い家の中へと入って行った。
突然、心の奥底で解除された感情。
繊細でしなやかな友情。
女性の役割、男性の役割・・・・・・。

あの時、どうして供え物を口にしたのかわかった。
どうして、エリカ姉さんが助けてくれたのかもわかった。

悪魔はその中にいた・・・・・・。
それは、エリカ姉さんの中にあった底無しの闇だった、
エリカ姉さんは救世主でありながら同時に悪魔だった。
アスカはそれを胸に抱いて涙をこぼした、
本当はどちらかでありたかったに違いない弱さを認めた、
それを理解できる自分こそが、
本当の救世主であり、悪魔なのだと思った。
そうすると世界はより美しく、より優しく、煌めいた、
世界は最初からずっと、
言葉を持たない大きな愛の世界に満ちていた。
善への願いと恋愛の求めとをひとつに燃やしめよ、
多動で集中力が欠けるADHD傾向も、突然のフラッシュバックも、
脳波で人間の無意識の反応を読み取り世論調査に活用する触手のように、
この入口の前にある、異次元の扉を開く。
より高きものによって慎しみ深くあろうとする努力。
そこには、女々しさも、屈従を意味する愛嬌も、
わけもない笑いも、無駄なクリスチャニティーもなかった。

写真に写った胎児のように、
その先に、彼女と、彼女による選ばれた子供が生まれる。
これから天と地のまぐわいが、始まる。
村はその日のうちに滅んだ、社会の腐敗、外敵の侵入、
それは絶対に必要な悪だった。
人間の屑は死に亡び、根絶やしにする以外に価値がなかった。
IQ三〇社会では当然のことだった、
生きている価値などまったくなかった。
ありとあらゆる地獄の象徴的な絵。
言葉の響きは雑沓の秩序を荘重に彩る。
骨がたくさん生まれた、きれいな地獄に面白い悲鳴があがった。
愛を知らない人はみんな無残な死に方をした。
絵を描こう、と思った、子供たちがそうなってはいけないように。
言葉を紡ごう、と思った、子供たちがそうなってはいけないように。
二人は、楽園を始めた、
これから数千年続く楽園の最初は抱擁のシーンから始まる、
選ばれた善と悪が混ざり合いながら本当の愛をつくりだす、
弱い心を守るために強い力があるのではない、どちらもが、その、
峻烈の愛、裸の愛、魂と自然と交歓の愛・・・。
美しい抱擁がなければありとあらゆるものは存在しない。
―――神は遺伝子の戦略を始めていた。