koichang’s blog

詩のノーベル賞を目指す、本を出さない、自由な詩人。

イラスト詩「世界はきっと、そこにあった 1」






村はずれの白い家に供え物がある、
方舟から作られた由緒正しいものだ、
と聞いている。
神殿とも呼ばれ、観音開きになった扉の奥は見えない。
祭壇めいたものが設けられ、
その前の台座には―――。
一か月の月が満ちる時、大勢の人々が供え物を持ってくる。
そこには食べ物や装飾品や織物や花などがあった。
大きな宇宙のための、みなが生きるための象徴的な供え物である。
それは同時に、村人たちが供え物となるということだった。
それをアスカが見ている。
いつもはそんなことはないのに、何故かその日に限って、
アスカはそれがとても欲しいような気がした。
塩辛い山羊のチーズ。

アスカは―――。
手を伸ばし・・・・・・。

  *

小さな少女が鋏で、
テディベア―の手を切り落している。
この村によくある、遊びだ。

  *

小麦の景色、
芝生は緑豊かで湿っていて、雨が優しく落ちる、
帯を結んだ枝に実がなる―――。

家へ向かって歩いていると、
幅十五メートル、長さ三十メートルぐらいの空き地で、
祭祀の準備をする大人たちの姿が見えた。
デシペルという単語がよぎった。
ふっと、気付いた。
こんなところに掲示板なんてあっただろうか、
街の喧騒と一八〇度逆の方向にあるような、
絵画が飾られている。
黒と赤による抽象画だった、四角い空と三角の女。
何だか身を引いて帰り道を用意しているような気がした。
『零れ落ちる星空と社交界の女王』

  *

地面に『ヴァッカーナーゲルの法則』と浮かんでいた。
インド・ヨーロッパ語族の古い諸言語において、
アクセントのない接語が、文中の役割と無関係に、
文の二番目の要素として置かれる”

サインポールが地面から浮かび上がる。
『結婚すれば自由がなくなるとはよく言った』
という、ハイドンの楽曲が流れている。
考えてもみたまえ、ワトスン君、常識だろう、
と、言いたい気持ちがした。

眠っている回路者よ、と誰かが言った、
―――光輝緑と、混沌の外衣による多重残像・・。


どこから来たのだろう空飛ぶコウテイペンギンがいた。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・。

  *

アスカは家に帰る。
人口は数百と聞いているが正確な数はわからない村の、
四階建ての家。
村の家という家は、すべて違う、煉瓦造りもあるし、
ウッドハウスもあるし、鉄筋コンクリートもある。
誰もが人と違うものを作ろうとし、それが滅茶苦茶でも、
構わないと考えているような人もいた。
様々な部族がいて、様々な考え方が統合された、
―――そういうのを、『しきたり』と呼ぶ。

家に帰って自分の部屋のベッドで寝転がって休んでいると、
携帯に母親から電話がある。
「逃げなさい」と。
そう言ったきり、切れてしまう。
ガタン、と何かが断ち切られたような音が響いた。
慌てて部屋のドアを開けて、廊下を走る。
がちゃっ、がちゃっ、がちゃっ・・・・・・。
三度試みてみるが、玄関のドアが開かない。
緊急事態―――なのだろうか。
ハッと後ろを振り向くと、
ゴキブリ成分三〇パーセント、
蜥蜴成分四〇パーセント、
残りは蜘蛛といった感じの化け物が壁にいる。
巨大で、二メートルをゆうに越える。
グロテスクな化け物だ。
後退ると、何故かそいつは逃げた。
母親の言う通りだと思った。
冷静な気持ちで、部屋へと戻って気を落ち着け、
窓を開けようとしてみるが、
やはり開かない。どういう作用なのだろう、
神霊的なものとか、超常現象的なものというべきか。
―――玄関が開かないのなら、
台所の裏戸も開かないに違いない、と気を回す。
壊すしかないのかも知れない。
そう想って、父親の部屋にある、
ずっしりとした重さがある、
壁に立てかけられた猟銃を手にする。
そして、窓に向けて放った。
腐敗の瘴気が濁らせる。
大時計の鐘がその時、鳴り響いた。

  *

本棚から本が落ちる。
いかにも意味深長な表情になる。
『読むと死ぬ本』と書かれている。
村ではよく読まれている本だ。
世界中の胸糞が悪くなる話が書かれている。
アスカは好きではなかったけれど、
村の人はそれに涎を垂らしながら読んだ。
それについて諄々として盡きざる話を耳にしながらも、
人の皮を被った動物だという気がした。
他人の不幸は蜜の味。
自分はただただ、吐き気がした。
けれども自分が変わっている、変だ、と思われないために、
鏡で涎を垂らすみたいな表情を研究した。
IQ三〇社会に溶け込まなくてはいけない。
その本の話が出るとその表情を浮かべた。
―――豚の丸焼き。

  *

夏休みが終わる、と誰かが言った。
それはアスカには聞こえなかった。
―――蜘蛛の巣の密室・・。

  *

窓から先には不思議な通路が続いていた。
鏡の部屋のうしろ側、なんて表現はどうだろうかと思う。
家から出られるけれど、
そこが何処へ続いているのかはわからない。
通路は庭ではない真っ暗闇を覗かせていた。
出口の標示灯や、案内する照明などあるわけもない。
光が吸収されているようにも見えた。
天秤にかけてみる。
このまま家に残って助けを待つリスクと、
何処かへと向かって自分が戦うリスクの、
どちらが高いかをアスカは考えてみる。
ふっと気付くと、足下に水の張られた盥があり、
そこに血で汚れた包丁が謎めいて置かれていた。
月光を受けて冷たく光る太刀のように、
ちゃぷり、と音が鳴った。
自分は、先程の化物を思い出す。
猶予というのはないのかも知れない。
存在は他者という限界をつきつけられることによって、
ルールブックになる。

  *

自分の部屋に見知らぬ絵画が飾られている。
『深海と古代生物における未知の恐怖と、
既視感と、落下した星』

  *

頭蓋骨の置物から、蛹が孵化して腸が飛ぶ。
村ではよくある、ポログラフィーだ。

  *

壁に『ゲイ・リュサックの法則』と書かれていたが、
それが消されて、
『シャルルの法則』と上から書かれていた。
“すべての気体の体積は、温度が一℃上昇するごとに、
〇℃における体積の一定の割合分(二七三分の一だけ)増加する」
という気体に関する基本的性質の一つ”

擬宝珠が落ちている。
古い橋や神社の柱についてるものだ。
でも特に意味はないので、拾わなかった。
パウルヒンデミットの『白鳥を焼く男』が流れていた。


どこから来たのだろう空飛ぶリスがいた。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・・。


  *

時間が止まる、と誰かが言った。
―――片翼の鷲の杖。

  *


アスカは静止した、幽霊じみた、その通路の先に扉を見つける。
荒削りな石の壁が通路をふさぐ球体の一部のように、
ふくらんではりだしている。
問われた対象なら答えられる、
浪漫的な興奮や道義的な謹厳さからなどではなく、
深く見えないところまで拡がってゆくかのような僅かな奥行き。
滑りこむと、上方にくりぬかれた無数の穴から光が洩れる、
扉の先は、村長の家の居間だった。
居間には狐や狸の剥製、虎の剥製などがある。
また村のシンボルである、紺色の地に星の散らばる旗が見えた。
戸棚にあるのはウィスキーのようだった。
―――扉はもう、何処かへと消えていた。

村長の家にはお邪魔したことがあるので、
見回している内に気付いた。
同い年のサキがいるからだ。
本当は嫌われているのを知りながら、仲良くしていた。
表面上の付き合いではあったけれど傍目からは友達のように見えた。
けれども、サキは本当はアスカのことが大嫌いだと知っていた。
それはおそらく、アスカがサキより美しいからだろう。
でもアスカはそういう嫉妬や、醜悪な感情を、
大人たちの中にも見出すことが出来た。
鳥が飛んだ空を羨むようなものと思えば自然である、
それはよくある村における感情だった。
「サキ、いないの!」
と、図抜けて大きな声で呼びかけてみるが、返答はない。
アスカは肩をすぼめてみせた。
と、何処かで戸のしめられる音がした。
サキなのか、それともサキの両親なのか。
こういう状況ではなかったら、
軽い不法侵入である。
とりあえず、村長の家の玄関のドアへ移動してみる。
―――開かない。

となると、窓も裏戸のようなものから出られるとは、
思わない方がいいに違いない。
―――玄関の花瓶に、
名前のわからない黒い不気味な花が活けられている。

とりあえず脱出方法を考えなければいけない。
村長の家は二階建てて、地下室がある。
誰かいないか、と探索をしている内に、
風呂場で、恐ろしい顔をした天井の壁すれすれの、
二メートルを越えた、痩せ細った、顔が髪の毛で隠れた、
樹のような印象がある女性に遭遇した。
麒麟女と呼びたい気がした。
何故ここにいる化物は二メートルという数字が好きなのか、
とアスカは舌打ちしたくなる。
濁った朱の色を透かせた風でも受けたみたいに、
ひと目見るなり襲い掛かってきたので、
ごっこが始まった。
―――捕まったらいうまでもなく、殺される。

  *

壁に絵画があった。
やはり不思議なタイトルがつけられている。
幾何学模様の魚を見る魂を啜る群衆』

その下に小さく、「エドガー、君を忘れない」
というエドガー・アラン・ポーへの傾倒を示す、
単純なフレーズが書かれている。
そんなことはどうでもいい、極度の静寂を持って呟く、
でもエドガー・アラン・ポーはひどい死に方をした、
すべてのアメリカ人が殺したんだ。

  *

風呂場の浴槽で蛙が自分の内臓を探して泳いでいる。
村ではよくある光景だ。

床に『シュテファン=ボルツマンの法則』と書かれていた。
“熱輻射により黒体から放出される電磁波のエネルギーと、
温度の関係を表した物理法則”

足下にガチャポンとか、カプセルトイと呼ばれる、
球形の玩具を入れるものが落ちている。
拾っている暇もなかったし、
拾う余裕があっても拾わなかったに違いない。
クロード・ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』が流れている。

誰かがその時言った。
―――従順なる山羊の従者・・・。


どこから来たのだろう空飛ぶ猫がいた。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・・。
って、そんなこと思っている場合じゃない・・!

  *

ごっこをしている最中に、
サキの知り合いなのか、村長の親戚なのかわからない、
女性が助けてくれる。
「どいて!」
彼女は、盾になった。
その時、風がすべて死んで、いそがしい物音がみんな聞え、
すると、何も聞えぬ森のなかのように静かになった。
彼女が手をかざすと、その女はまるで堪え難い疼痛にでもあったように、
びゅんと尻捲って逃げていった。
「た、助かった・・・・・・」
かれこれ、二分ぐらいの格闘だったが、
足が滑ったりするハプニングもあったし、
先回りされたりなどの頭脳戦があった。
「危ないところだったわね」
きれいな眼をしていた、すぐ好きになった。
―――村の人々の濁った黄色い眼とは違っていた。
その微笑みの一瞬でクリティカルダメージ。オーバーキル。
「はい」
それに声もすぐ好きになった、
心の中がとろけるような響きがそこにあった。
判断の確実性を揺るがせる夢幻的な存在―――。
神々しい夢の国の住人・・・。
「あなたここから抜け出したいのね?」
「脱出方法がわかるんですか?」

彼女はとある理由でこの村に来ている、と言った。
それはこの村にいる化け物を祓いに来たのだ、と。
気が付くと手をぎゅっと掴んでいた。
まるっきり、救世主ではないか。
アスカは、話を聞いている内にぽろぽろ涙をこぼしてしまう。
さながら、精神不安定な子供のカウンセリングだろう。
けれども彼女は嫌がる様子も見せず、
「安心しなさい」とあたたかく肩を抱いてくれた。
少しも隙のないように身体を密着する。
墓場のような不気味さが感じられる、
見知った世界ながら同時に様子をちがえた異世界で、
それは頼りなさや寄る辺なさをあたためてくれる熱だった。

孤独を知りつつ、孤独を感じない。
手に取る友達、互いのある部分を了解し合う友達、
だからその孤独は人類の泉に浸してくれる。
アスカは素直に心を許せた、甘えられた。
最初からずっと知っている人のような気までした。
彼女の名前は、エリカと言った。
年上のようなので、エリカ姉さんと呼ぶことにした。
頼りになる人に、兄さん姉さん、
というのは昔からの村のしきたりだった。
ちなみにこれまでアスカは誰にもそう呼んだことがなかった。

  *

壁に絵画があった。
やはり不思議なタイトルがつけられている。
『動物の骨格標本と未完成の人間』

  *

植木鉢が椅子の上に座っている、
これは村でよくある自然信仰の一つだ。

部屋の壁に『ティティウス・ボーデの法則』と書かれていた。
“太陽系の惑星の太陽からの距離は、
簡単な数列で表せるという法則”

部屋の隅に、クリスマスツリーのてっぺんにあるような、
星が転がっていた・・。
確か名前は―――トップスターとか、
ベツレヘムの星・・・・・・。

ヨハン・シュトラウス二世の、
『訴訟ポルカ』が流れている。

世界が始まる、と誰かが言った。
―――契約の落雷。


どこから来たのだろう空飛ぶ羊いた。
「あすか、だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」と言った。

聞き間違いだろうか・・・・・・・。
それはすぐに消えた。

  *

エリカ姉さんは先程の二メートルあるバレーボール女を、
邪悪な魔物ではなく、姿を変えてしまった村人だと言った。
また、アスカの家にいた化け物は、
おそらく飛蝗や、蟷螂などであろうと教えてくれた。
他にも血を吸う植物や、甦る死者なども教えてくれた。
眼球に記憶されているのは、自分の恐怖だった。
けれどもエリカ姉さんの話を聞くとアスカは心の底から安堵した。
エリカ姉さんは、物知りだった。
魂に攻め入ろうとする恐怖が薄らぐ知の継承者だった。
とりあえず怖いので腕を掴んでおいた。
コアラと勘違いされてもとりあえず腕掴んでおいた。
細い腕だったけれど、きれいで、しなやかで、鹿のようだった。
そうしていると極甚の法悦が胸の内に起こり、
世界は不可思議の迷路のようになった。
でもその迷路をエリカ姉さんとなら一緒に歩いていきたい、
という気がアスカにはするのだった。

エリカ姉さんは博識で優秀というだけではなく、
やはり特別な力を持っているようだった。
本来こんな場面で、エリカ姉さんが敵じゃないかと疑うべきところなのに、
何故かそういう疑心暗鬼は起こらなかった。
そういうのを考えるのがむしろ罪だという気さえした。
ともあれ、あっという間に、村長の家からの脱出方法を見つけた。
二階の壁に、気配がするといって、サキの部屋にあった椅子を持ち上げて、
壁を壊すと、自分の家の窓を壊した時のような、
入口が見つかった。
それは椅子の攻撃力というよりは、綻びに一撃を加えた、
という方が正しい気がした。
勝鬨のような破壊音は血と肉の喜びに満ちていた。
「異空間で繋がっているの、
おそらくここもまた何処かへ繋がっているはず」

そう言って、我先にと先導し異空間の中を歩き出す。
先程と同じような暗闇の中を歩く。
異空間の外へ出ると、森だった。
村の周囲にある森だというのはわかった。
夜の色が野の上を渡ってくるように言い知れぬ戦慄に襲われた。

「エリカ―――姉さん・・・?」

しかし頼みの綱の、依存したかった、
生きる心の支えであり転ばぬ先の杖たりえる、
エリカ姉さんがいない。
これまで、しっかり者、賢いといわれた大人びたアスカが、
途端に、わーんと昔の漫画みたいに泣きだしたい気持ちになった。
眼尻にはもう、涙が溜まっている。
自分でもどうしてそんなに心が乱れるのかわからなかった。
それは怖いからという理由だけではなかった、
死ぬのは怖いけれど、死ぬからといって泣くことはない、
堂々としていたい、アスカはそう思っていた。
けれども、魂の半身を失ったような苦しみはそうはいかなかった。

数分後、アスカは気を取り直した。
自分の気持ちの切り替えがこんなに下手だとその時に知った。
エリカ姉さんを探しがてら行くしかない。
あんな頼りになる人だ、きっとはぐれたことに気付いたら、
探しに来てくれるに違いない、とアスカは思った。
でもエリカ姉さんもどうか無事でありますように、
と心の底から思った。
それが深く、遠く、細かく、広く根のように張った。
とりあえずは、安全な場所を探すべきだと考えた。

  *

やはりここにも不思議な絵があった。
『誘う宝石箱の魔窟とコペルニクス的転回』


  *

眼と口の描かれた樹が見える。
それは村人が死んで土の埋めると、
そうなるのだという言い伝えがある。

空中に文字が泳いでいた。
ニュートンの運動法則』
“第一法則、静止あるいは等速度運動中の物体は、
外力が加わらないかぎりその状態を続ける(慣性の法則
第二法則、物体の加速度は加わる力の大きさに比例し、
物体の質量に反比例する。
第三法則、二つの物体が相互に及ぼす力は大きさが等しく、
方向は反対(作用反作用の法則)”

その足元に、排水溝の蓋で、網状になっている、
グレーチングが転がっていた。
でも、アスカにそれを見る余裕はなかった。
『〇分〇〇秒』が流れている(ような気がした、)
ジョン・ケージが流れている(ような気がした、)