お好み焼きと一口に言っても、
もちろん沢山種類がある。
これも一種の郷土料理、ソウルフードで、
観光客におけるご当地グルメ。
雑誌にとってはB級グルメだろうか。
分かり易く言えばカレーみたいなもので、
家庭の味というのが存在するし、
店や地方によっては異なるアプローチをしている。
たとえば、円形のフォルムを想像している人に、
曰くイタリア人に伝える為に和風ピザという言葉を用いたのに、
(一説には関西風お好み焼きのルーツにはピザがあるらしいけど、)
昔の東京から伝わった東北地方の「どんどん焼き」は、
結構面食らってしまう。
棒に巻き付けているという発想が、まず、すごい。
常識って当たり前っていう意味だけど、
そんなもの黙って引き受けている範囲内のカテゴリーにすぎない。
常識って書いた看板を蹴り倒せるところの―――常識であれ、と。
実は世界にもお好み焼きは拡がっていて、
台湾には四角いお好み焼きというのも存在するし、
その国特有の素材を入れたりもする。
まあ、中華麺やうどんをいれるモダン焼きもあるので、
これは実に奥が深い。
北九州市では、マヨネーズとケチャップを混ぜた、
オーロラソースをつけて食べるのが定番という。
お好み焼きといえば野菜と肉を両方とれるけど、
カロリーは一枚で五〇〇前後。ただ、当たり前だけれど、
肉を多めに入れたり、マヨネーズをかけまくったり、
(という、お好み焼きのスタイルも存在する、)
餅を入れたりしたら、それに該当するわけもない。
お好み焼きは小麦粉を入れている「粉もの」だけれど、
その起源を辿ると、紀元前二〇〇〇年頃の中国が出てくる。
中国というのはすごい国で、
ねずみの踊り食いみたいな料理とか、
猿の脳を食べるみたいな文化もある。
まあマニラには蛆虫ハムとか、
南米にはカエルジュースみたいなものもある。
もちろん世界一臭いのはシュールストレミング、
(うまいことを言う人がいて、
「干していないくさやのようなもの」)
―――インパクトの爆発だね、
ついでに言えば消化器官も爆発しそうだね、
ちなみにシュールストレミングが爆発したことがあって、
さながらバイオテロ。
で、「粉もの」がどうしたかってことだけど、
それが一三〇〇年ぐらい前の奈良時代の遣唐使から、
この「粉もの」が伝わったといわれている。
これが小麦粉を水で溶いて焼いたシンプルなものだった、
といわれ、これを煎餅という。
、、、、 、、、、
せんべい、ではない、せんびん、だ。
ここから安土桃山時代の千利休が考案した、
「ふの焼き」が茶菓子として使われるようになる。
水溶き小麦粉を鉄板で焼くという調理法の嚆矢であることから、
お好み焼きやもんじゃ焼きなどの遠い祖先といわれる。
沖縄にこれと酷似したものがある。
そこから昭和の初めの「一銭洋食」に流れる、
当時はウスターソースを使ったものは洋食といわれた、
味付けをしていないものを好んで食べられる人もいるけど、
結局ありとあらゆるものを決めているのは「味」だ。
ちなみに今現在の三十五円ぐらいの値段らしい。
また東京では前述した「どんどん焼き」があり、
これは屋台の太鼓の音。
イール=スュル=ラ=ソルグの広場に並ぶ、
花や食べ物や骨董品の屋台とはいかないだろう。
僕が作った俗説を流せば、そこでは男女の逢瀬が盛んな、
いかがわしい場所で、摘発されたとかいう話もあるけど、
―――詳しいこと、本当か事実かといわれると、
それは、やっぱり昔のことだからわからない。
いや、マッチポンプ式は基本でしょ、
IQ三〇社会は洗脳社会なんだから。
実を言うと、花粉症なのか黄砂なのか風邪なのか、
インフルエンザなのかコロナなのか、
病院に行くなり検査キットがない限りわからないようなもの。
情報が増えて推測の項目は増えてもNYステートは続くわけだ。
何かがなくなることは、思い出が遠ざかるのに等しい、
物語が進むべき方向からそういう声が聞こえる、
その予感は、もっと遠い所から発せられている。
でも振り返ってみるとあらゆることは奇跡だ。
、、、、、、、、、、、、、、、
沈みゆく戦艦に想いを馳せる艦長。
ただ、広島風お好み焼きにキャベツが多いのは、
またそこにもやしがあるのは、
ボリュームを出してお腹いっぱいにしたかったからだ、
という話には肯けるような気がする。
戦時中には空腹をしのぐ食べ物だったからだ。
ちなみに関西人はお好み焼きをおかずにするというけれど、
できる人もいればできない人もいる、が正しい。
(何だかある種の固定観念や先入観って、非常に腹立たしい、)
お好み焼きは鉄板の上でへらで食べるものという、
これ一子相伝曰く秘伝の奥義みたいな通な人もいるけど、
僕はそもそもへらでお好み焼きを食べたことすらない。
曰く華麗なるギャツビーはシャツ中毒で洋服箪笥が一杯だった、
(そういう思い出は切ないのに、
幸福な気持ちを運んでくれるのは何故だ?)
煉瓦を積み上げるように、薄手のリネン、厚手のシルク、
上等なフランネル、ストライプ、スクロール、格子縞。
そして色も珊瑚色、黄緑色、ラヴェンダー色、薄いオレンジ色と、
さまざまで、どれもインディアン・ブルーのモノグラム・・・。
ねえ、腕組むラーメン屋を言うのは冗談だけど、
(だって体育会系的で面白い、)
汁まで飲めという店主は、本気で批判してる。
僕は一から十までそれは説明しないけど、
店でへらで食べろとばかりに箸を出さなかったら怒って帰る。
コロナ下で不衛生だという意見があるけど、
そんな現代的なゲストパフォーマンスの話じゃない、
たんに、僕はあれが食べにくいからだ。
ホラー映画なんかで、物音にビクッとした人が、
猫の姿を見て、ははは、と笑うようなもの。
いまから襲うからね、ゾンビ。
それゾンビネス(?)
へら、とはそもそも広島の屋台で、水が自由に使えず、
つまり洗い物が中々できなかったので、少しの水で洗いやすかった、
へら、が使われたといわれている。
また鉄板も、戦争における造船の関係で、手に入り易かったからだ。
(あえて付け加えると、造船所で働いていた知り合いもいたので、
僕はこの話、本当にそうだろうなと思った、)
スターバックスでコーヒーと注文する勇気のように言うけど、
断定はいつだって危険だ、
世界はそういう分かり易さを求め過ぎる。
昭和三十五年になると広島では戦後の屋台のお好み焼きから、
自宅を改造したお好み焼き屋になっていく。
家の土間を改造して、女性が子育てしながらする店。
何だか煙草屋みたいだな、と思う。
終戦の時の子供の履き物は下駄か藁草履、
それも履いていればいい方で二本の歯は減っているし、
本体の台が後ろの部分から擦り減り、鼻緒の穴に届いて、
その用を足さなくなるまで履いていた子も大勢いた、とか。
藁草履も、減って、かかとが地面につく状態。
―――もちろん靴を履いていた子供もいただろうけど、
色んな戦争の影響があったんだろうな、と思う。
翁や媼が話すところの子供の時のそういう話って、
まあカルチャーショック満載である。
おしん、を思い出す。
存在の最も深い一点に触れてしまう一瞬を探そうぜ。
有名なところではやはり、
関西風お好み焼きと、
広島風お好み焼き。
何がどう違うかということだけれど、
それは「ふわっとした焼き方」「蒸し焼き」というぐらいで、
(関西風は山芋を入れて、広島風はもやしを入れるけど。
また生地に卵を入れたりとかあるけど、それは本当に些細な違いだし、
どれもやっているというところだってあるに違いない、)
そもそもお好み焼きには、何を入れるかとかは、
ある程度決まっていても、
そこにおける明確な決まりというのはない。
(究極のとか、至高のというのは別かも知れない、
とある新聞社は頼もしい無茶苦茶を目指す、)
具材に山芋やもやしを入れようが、牡蠣入れようが、
桜海老入れようが、かつおぶしや青のりかけようが、
仮にそうではなかろうが、誰も困らない。
ラーメンみたいに醤油・味噌・とんこつ・塩ベースで、
作ったっていいわけだ、
お好み焼きとは自分で焼いて楽しむというものだ。
お好み焼きソースは重要な脇役だけれど、
中にはソースが嫌いな人、多すぎるという人もいるし、
それどころか、生地の味が好きなんだという人もいる。
大抵の予定変更はあるべき形に丸く収まるものだけど、
―――もっと大陸横断したい、もっと惑星直列。
ねえ、偏った見方を押し付けないでくれないか、
馬鹿がうつるじゃないか。
ちなみにお好み焼きの生地を作る時は、
水を入れてから粉を入れるとダマになりにくい、
これだけは覚えておいてもいいのではないか、と思う。
基本を知っておくと、いつか興味が出るものだ。
三分間のテレビクッキングみたいなものだ、
重要なのは料理のシーンでも完成品でもない、
冷蔵庫で寝かせていた、
刑事物のお約束そんなんじゃうちの嫁は務まりませんよ、
と、がっつりヘイトポイントカードを集めて、
とかいうあの不思議な反則技である。
、、 、、、、、、、、、、
いや、何言ってるかわからん。
温度調節ができるホットプレートで焼く方がいいけれど、
フライパンで作ってもいいと思う。
またガスコンロで使える鉄板プレートというのもいい。
一旦ページを開いてみると、自由が待っている本みたいなものだ、
いまでは冷凍食品でお好み焼きがある時代だし、
それも実を言うと結構美味しかったりする。