koichang’s blog

詩のノーベル賞を目指す、本を出さない、自由な詩人。

かもちゃん、世界について語れば


、、、、、、、、、
かもちゃんは思った。

 
「世界とは何ダロ」と。


砂場でごろんと、
でっぷりした感じのお腹をぽよよんさせながら、
絨毛というほかないナチュラルヘアに砂をからませ、
チャームポイントの大きなお尻をはずませながら、
さらにはずませながら、
(強調するべき鳥のチャームポイント、)
そのくちばしでドリルさせながら、
仰向けに夜空を眺めた。
鳥たちは、聞き耳を立てる。


いかにも遠く見えるものがあんまりにも近い、
こことそこがそれほどの違いがない―――ダロ
世界は星みたい―――ダロ
明るさにもむらがあって、きらきらしすぎることもない、
近くに寄ったらものすごくでかい、星みたい―――ダロ

、、
ダロ。


そしてそんなわかったようなわからないようなことを言いながら、
それが、認識できるか、理解できるか、好きでいられるか、​
というような―――ものだと思いながら、
にゃあ~と言った。


気が付くと、いずうさが立っていた。
かもちゃんが、それに気付く。
いずうさは、右耳をやはり折り曲げながら、
(やはりというほかない所作、)



「うさぎとしても、考えたことがある」
と、おもむろ言った。



数秒の時が流れた。
ブーン、とバイクの音が聞こえた。
流線型の音。

うさぎだから、考えたらしい。
かもちゃんは、フムと言った。


「世界は遠く見えるものだけど、
世界をたとえば砂場のように、
その砂の一粒一粒だと考えてみればいい、
世界は―――つまりまあ、そんな感じ」


要約されていた。
​つまりまあ、そんな感じ(?)​​​​

 、、
「箱庭」



かもちゃんが言った。
「すごいダロ」
「すごくてやばいダロ」
「バキバキのベキベキダロ」

​語彙力低下する、鳥。
でも、鳥はものすごい答えを用意した。​


 、、、、、、、
「世界とは砂ダロ」


いずうさは、かもちゃんのお腹の上に、
よっこらせ、ふう、と座りながら、
(ふう、は、一息入れます、)



「そうだ、世界とは砂なのだ」
と、断定して言われた。


その様子を、市長さんと魚屋のおじさんが眺め、
いや、見聞きしながら、
世界とは砂なのだろうか、と考える。
いや、定義したことによって、
世界はそう見えるという性質がある。
巨視的、マクロ、大雑把なものの見方。

ありとあらゆる、という意味に等しい言葉。
ニュースにおける、世界。
自分という人間における、世界。
見え方、感じ方、捉え方、あるいは踏まえ方。
元々よくわからないもの、
世の界隈という言い方もできる、
人がいて、動物がいて、植物がいて、建物があって、
山があって、海があって、


そして―――そして・・・・・・。
世界とは砂なのだ、といずうさが言う。
世界とは砂ダロ、とかもちゃんが言う。


市長さんと魚屋のおじさんが、
ひょいとちょっくら、グッ、と顔を見合わせて、

「そうかも知れませんね」
「そうですね」
と呟いている。


そして砂場に何故か、鳥たちが集まり始める。
一切鳴きもせず、一羽、また一羽集まり始める。

 ​、、、、、、​
​「砂が来たダロ」​
とかもちゃんが言った。