“風景”という状態がある、
この未曽有の精密さに真正の治療あれば剥奪の極みをくれよう、
その雅びで奥ゆかしい喧騒の一旋廻、顕在化の一凪ぎ・・・・・・。
(たとえば超越的過程としての意識、一般的な体験の現象学へ、)
方法と状態、鞭と荊、
女性原理と男性原理が揺らいでいる天地、
、、、、
なにものか、であり続けることを手に取れば、尖る錐が胸を刺す、
懊悩、どっちつかず、既にといまだの淡いに潜む集積。
「視線を外へと開く窓に対応したい(人)“であるはずの僕”が、
―――構造に遮断され、分析に先行し、像の内部に実在の共鳴を求める」
(眼前に引き寄せる―――“感受体”)
相転移―――交換・・・・・・
《刻々生起と消滅をくりかえしている数多の、形而上学の位置と機能》
「罪に堕ちた者よ・・・・・・」
アルペツジオのような浮遊空間が一瞬建設される・・・・・・、
物質化された救済空間、憐れむべき愚者の為の救済空間、
すなわち先験存在を認めるための禅問答、表象能力が映しとる、
この神の惰性にも似た白い空間とは、
ヴェルトビルト ビルト
世界像ー映像ー視覚が孕む展開、異差、連繋、
額縁的感性の表象の脱神話性。
十二支の獣の形を取った大時計のような不羈奔放、
雁字搦めにされることない何かが生きていた心の状態、
オンリー・コネクト
ひたすら結べ・・・・・・、
しかしその血を循環しうる圏内の崇拝の最先端部分、
空虚なまでの眩暈の氷の上のような非対称性に、
迷い込んでいる気がす―――る、
“labyrinth”(へ、)その言葉は、
「虚無/実体なき暗黒」を“眺”めること・・。
(「限界」/「否定」/」「逆説」の、
見取り図、パースペクティヴ、系譜学)
うなだ うつむ
「項垂れている/俯腑いている」
“vision...記号の空所を満たす遡行的な問い掛け”
“vision...無言の経験に沈殿した構成層の一欠片”
、、、、、、、、、、、、、、
無意味なまでの塔の高さの俯瞰、
数多の固定観念やオブセッションという名の斜視、
否、輪郭と射影の統一体、その非十全的なもの、
(ユダの接吻と呼べそうなもの、
あるいは厳格なローマの審判と呼べそうなもの―――は、)
あるいはその不信にも方便とは、
「実証可能性」と「反証可能性」なのだ、
、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、
内側にある形、形の中で行なわれている動き、
何かが始まり何かが終わる、
マルスとウェヌスとクピドのような愛に征服される闘争、
それは《語りえぬ“閉じる”》ということだろう―――か。
それは《語り終えた“開く”》ということだろう―――か。
“風景”という状態がある、
それは規模の一層大きな文脈、過度に単純化されて解釈される前の、
『面』という言葉が通過し、反射し、関係の重層の無根拠な約束事が、
去来する、認識過程。
―――風穴を開ける、身振りする声、一つの織目を構成する絵・・。
(絵とは夜の伴侶、他者の驟雨、)
―――夜明け前に、珈琲を飲まない、か・・?
ズラした、随伴関係に寓目した、
因果関係、同時共存関係・・・・・・。
「この音は、この言葉―――は、
(あなた)なのにそれがわからないのだ、」
「この音は、この言葉―――は、
《すべて》なのにそれがわからないのだ、」
―――帰りが遅くなってしまった、
いつも待たせて申し訳ない、鏡の中のオルフェウス・・
そこにおける狭窄性、範囲性というものは、
組織的組み合わせによる全領域を覆いつくす百科全書・・、
(頭蓋骨と十字架を持った裸の女が洞窟の中へ入ってゆく、)
《東方三博士の礼拝が始まる、》
風に吹かれているだけで、いい―――のに、
木々や雲、そして小鳥、池の鯉、お前たちだけでよいのに、
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強烈な現実乖離との可逆的関係を結びながら、
予行の―――地平をさまざまに遍歴しうる、
軌跡の―――曲折、意識の逆望遠鏡・・・、
虚実、主従の二面世界は、対立するというよりも裏表。
その完全無欠な幻影、生命の完全な定義のように胸の内に訪う・・。
あの時―――も、
あの時―――も、
言いたかったことの一つも言えたような気がしな―――い・・。
花が咲いて散る、夜よ、月よ、僕にまた顔を見せてくれ―――。
謎の如く立っている嗜好の体系が、
射殺された後の世界のように何処からか落ちて来る。
うなだ うつむ
「項垂れている/俯腑いている」
“vision...記号の空所を満たす遡行的な問い掛け”
“vision...無言の経験に沈殿した構成層の一欠片”