潰れる店というのは予兆がある。
アルバイトをして、頭痛がして、
眠気が来るなんていう三段論法の場合は、
、、、、、、、、、、
とりたててそうだろう。
自由な遊び心に満ちた娯楽のように、
そこでは何度か心霊現象に遭った。
その際に処する自分の腹はあらかじめ決めておかなければいけない。
店は三階にあったのだが、
エレベーター待ちの時、隣に四十代ぐらいの、
スーツを着た女性がいた。
闇の中にぼうっと浮かび上がる燃え上がりかすれたようなその入り口。
、、、、
ぢりぢりと、脳が焼ける、無限の時間の延長の感覚。
彼女が立つ位置は、
自動ドアが開くような位置。
それなのに、自動ドアは無反応。
機械にだって感情がある。
毛嫌いだってしたくなるなんて誰に言っているのか。
隣にいるのは誰だろうと思いながら、何階ですかと聞いた。
、、、 、、、
三階と、言った。
いわずもがなのことを、三階ですね、としたたかに言う。
白く広がる砂丘を悠ったりと思い浮かべている、
渡し舟のような緩やかな情趣。
三階までのぼって下りて振り返る。
―――いない。
足音も、聞こえなかった。
心当たりのない不審な荷物みたいに、気持ちが真っ暗になる。
それでいて、それが潜んでいるらしい気配が心を重くする。
空虚な空気の中にぽつねんと取り残されて、
それでも寓意ある生の意味のなかを彷徨う・・・・・・。
、、、、、、、、、
こんなこともあった。
店のドアがノックされたので、
ドアを開けてみるとそこには誰もいない―――というのは、
通常運転だが、
監視カメラで見ると黒い影のようなものが映っていた。
胸がその一度で、凝結したように感じられる。
―――しかも、店の営業終わり・・。
廊下を歩いて、エレベーターに乗って帰りたくない。
だが、店の営業始まりだったらもっと悲惨だ、
であるならば蒼褪めた貝のように沈黙せよ、
そういう僥倖もある。
これは自分の体験ではないのだが、
ポストの物を取ろうとしたら、
、、、、
くにゃっと押し返すような気配があり、
何だろうと思って覗き込んだら、
二つの眼が見えたというのもあった。
―――ネットでこの話を読んだら、都市伝説かよと言った。
絶対に言った、九十九パーセントの確率で言った。
でもこの店で働いていてそれを嘘だと決めつける猛者はいない。
それは紫陽花の急行列車、
あの世とこの世を体験すると妙な信頼関係が出来上がる。
廊下を歩いていて、人間の足が天井にあったという人もいた。
、、、、、、、
堀抜井戸の反射。
雨の日には、古びた傘が増えているというのもあった。
お客様用の傘入れに入っていたそれは、花籠を彩る架空の一輪。
ところでバイト仲間で簡単な日誌を記入するのだが、
(仲間全体で情報を共有するという名目だが、
文章が下手な場合、一行で済ませるパターンのひどい代物、)
―――どう考えても、
誰が書いたかわからないものが混ざる。
しかし増えているだけなら、ナニソレコワイで処理してしまう。
感覚は麻痺していたと思う。
けれど饒舌に喋りたてる心理というのは浅ましさからではなく、
心にもない矯飾が、
何の肥やしにもならないことを本能的に知っていたからだ。
でもみんな言っていた、
そういう時には何か変な臭いがする、と。
嗅覚は正直で、表現型の変異、
ダイレクトに感覚に迫って来る。
―――そして何となく、左手を右手に合わせている。
店のある建物は十三階建てで、各店が入っているのだが、
どうも三階は長く続かないという話を、
(ジンクスというニュアンスとも取れたが、)
たまたまエレベーターで居合わせたビル管理の人から教えられた。
巡回して、カメラ監視をするような仕事をしているのだが、
点検業務、もっぱらは、水が詰まった時の便利屋さん。
なかでも三階はおそろしく水が詰まる、と言っていた。
といって水が詰まるのを直すのは朝飯前なのだが、
詰まると電話してきた相手がいない、と。
自分の店以外にも二つあったので、そちらのことかとも思われたが、
それはまた随分マナーが悪いなと思う、
冷静に考えると、何処とも言っていないのだ。
確かに詰まっている。直す。
、、、、、、、、、
時間を聞いていない、でもいまさら聞きたくない。
でもそれを連絡してきた相手がいない。
そんなことが、一週間に一度はあるという。
まるで多くの猿の警告の叫び、縄張りを主張する叫び、
蛙の求愛のための鳴き声。
怖い話に慣れてしまうとあれだが、
店の中の子には、シャワー中に横手から覗き込まれたとか、
―――貞子だった、と笑い話にしていたけれど。
ほかにも金縛りで部屋に入って来られたとか、
すさまじい話が聞こえた。
テレビを点けていると、眼のようなものが見えたなど、
聞いていて生理的にゾッとするものもあった。
しかしこれで辞めないとなると、もののふの家系ということになるが、
そんなことはない、当たり前だが、時給がよかったのだ。
お金はとてもいい鳴き声の鳥で神の歌を聴かしめる。
しかしこれは決めつけではなくてあくまで経験的な意見だが、
給料面を厚くしたい子って不思議と変わった子が多くて、
明るい人が多いように思う。
、、、、
ほかにも、何故か休憩時間になると、
ぼうっとしているせいか、
(冷静さって、揺れる、破裂する―――、
そういう冷静さじゃないよと思いながら、)
変な検索ワードで検索してていることがある。
『殺人』とか、『自殺』とか、だ。
病んでいる。
富士の樹海とか、ジェイソン村とか調べていて、
え、と何度も眼が点になった。
でもけして現実に差し向けられているわけではない、
それは“もっとも遠い種類の影響力”でありこそすれ、
“無意識を支配する類の洗脳”ではない。
それは身体にあてられている間接的な要素だ。
それは腐敗だ、あるいは腐蝕だ、
死の威嚇とでもいうべきか。
そしてこんなこと、みんなにも多かれ少なかれ経験があった。
最低でも二回はこういう経験がある。
現実の一部分を切り取ってもまだ全体を成立させることができる、
それは脳の機能と同じだ。
あれは九月で、どういう風の吹きまわしだったのか、
オーナーが家まで送ってくれるという。
こういう図式は、飲み会が多かったようにも思う。
オーナーは下戸だったのだ。
まあ、送ってくれるなら二つ返事だ。
物騒な世の中、ストーカーもいる、
タクシーで帰りたい夜というのも一度や二度はある。
一緒にバイトをしていた子と、三人の車内。
とりたてて関係ないのだが、この子は、
公民館で裁縫教室に通っていると言っていた。
人間のことを思い出すうえで、忘れることの方が多い、
無限に重複した水平線、さりとて人なんて似たり寄ったり、
―――それでも孔雀の羽根の哀愁のように、
公民館で裁縫教室に通っていたと覚えている。
最初に送っていくのは、彼女。
きびきび働く、真面目で、物覚えもいい子だったが、
その日は仕事中に気分が悪くなってずっと休んでいた。
こういう時にナメクジ法が推奨されていて、
塩をかけたりもするのだが効果はなかった。
伯方の塩。
なので、本当に体調が悪いんだなということになったのだが、
やっぱり私たちはズレている。
当たり前のようにズレていると、
声のトーンが少し暗いというぐらいは、
いつもと同じように思ってしまう―――。
「そこ右です」
「そこ左です」
助手席に座ったその子は、ナビをするのだが、
、、、
くらっとくる。
おかしなことに、道をぐるぐる廻っていた。
そのことをオーナーや私が指摘すると、
「でもこの道で合っているから」
と言う。
確かに土地勘が明るいとは言えない、
カーナビも搭載されていない。
でもグーグルナビはあるという回路へは持っていけない。
けれど、おかしいということは、
技術進歩ですっかり退化した篩にもちゃんと引っ掛かっている。
それでまたその子の言う通りに走ったのだが、
スローモーションのように、
、、、、、、、、、、、、、、、
住所表示や地名が斜め越しに迫る。
くらっとくる。
世界が常識を拒絶しようとしているみたいだ。
外部と内部を反転させる作用。
咽喉が渇いて咳払いしたくなる。
やっぱりまたさっきと同じ道…。
そして何か変な臭いがし始めたのだ。
そこには直接性や可視性というものはない。
これは透明無比の蜘蛛の巣・・・・・・。
ただ、私には何故かそれが我慢ならなかった。
「いい加減にしてよ!」
と声を荒げると、
「ごめんね。でもお父さんとお母さんに、
この道しか通っちゃ駄目って言われてるから・・・・・・」
そう言う。
拡張的な意味作用を剥奪する言葉。
その後続けて、
「この道の先のトンネルのところで降ります」
と、呟くように言った。
トンネルの手前で車を停めて降りた。
ただ車を降りてから、オーナーが、
「トンネルの先に家なんてあったっけ?」
と首を捻っていたのは気になった。
外部の薄い表面にある異物。
何の変哲もない住宅。
氷山の一角。
彼女の消え入りそうな淡くて薄い感じは、
真夜中のヘッドライトと共に消えていった。
次の日から、彼女はアルバイトに来なくなった。
若い世代ではそういうことはままある。
が、そんなドタバタもどうでもよくなるぐらい、
店自体も一週間ほどで潰れた。
家庭の事情という動揺を余儀なくされる骨格だったが、
もう次の日にはなにぶん営業停止状態で、
バイト代にイロをつけてを貰えたことだけは、
ありがたかったと思う。
正直そうでなくとも潰れる前兆はあった。
そして給料をもらって安心したというわけではないが、
辞めた彼女のことが気になっていた。
それは中心化された知覚、
真相を知りたいという核を持った、
問い掛けではなかったろう―――か。
昼間だったけれど、興味をそそられて、
オーナーとあの子がいたトンネルまで原付で行った。
坐骨神経痛のように脳と接続するパズル。
郊外の中でも住民が少ないような印象がある、寂れた道。
その時、何かちょっと違和感があった。
気のせいかも知れないけど、新しい道のような気がした。
もちろん、昼と夜とでは見え方が違う。
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雷鳴の意識に導かれて風のような純白が目覚める。
先へ進むと、トンネルの向こうを少し進むと驚くことに、
舗装道路が切れていた。
トンネルを走っている間中気付いていたが、
交通量がまったくない。
施設の看板と、落書きのようなものが見えたが、
あるのは、あるのは―――森。
そして途方に暮れながら原付を停めて散策していると、
無縁仏の放置された墓石がごろごろしている。
圧縮されたものが、
衝突し、反射し、再びまた凝集している。
意味の途切れる境界線。
完全にロックオン。
詰んだ、みたいな感じだった。
あの子の家がこんなところにあるわけがない。
それなら嘘をついたという方がまだ近い。
でもその嘘がいよいよ重みを加えることを忘れてはいけない。
その時に有能な占い師の話で、
何も見えないという状態のことを思い出した。
何も見えないということは、
未来が存在しない、すぐに亡くなるという意味、
、、、、、、、、、、、、、、、
あの子ちょっとおかしかったよな―――は、
誇大され、拡大表示されて、
死ぬ前兆だったと思うようなやりきれなさにすり替わる。
ふとした時にそれは慙羞の表情だったのではないかと思われてくる。
言葉の不透明のなかに深く潜行してゆく。
死んだと誰が言ったわけでもないのに、
それを確認したいのに、
連絡先を知らない・・・・・・。
元々は別荘地として開発されたがほとんど売れず、
その後キャンプ場に転用されたという話を聞いた。
キャンプ場、ロッジ、食堂、宿泊施設などを備えたが、
比較的短期間で閉業となったということなぞを聞き、
その後も火災が起きたという。
それはネットで調べれば出てきた。
しかしそれはステルス性の悪魔にすぎない。
だってそれは直接、この話と関係がないからだ。
あの子は、家へ帰れたのだろうか?
あの日の肉声を感じさせない即物的な相が、
幾何学的に単純化してゆく。
そういえば、山で遭難した人の話を聞いたことがある。
クラスとしてはハードで、二日、山を出られなかっ―――た。
二日、テントをするのとはわけが違う、
あと一日そこに残っていたら心が折れていたかも知れないとも言う。
で、その人が言うのだ。
道中、こっちおいでーとか、色んな格好で、色んな年頃の人が、
手招きするのを見た、と―――。
ふっと思い出した―――のだ、
オーナーに家まで送ってもらって時計を見た時に、
あれまだこんな時間なんだ、と思った。
通常に考えてもっと時間を喰っていてもおかしくなかったのに、
明らかに三十分以上早く家に着いたのだ。
のっぺらぼうのように死の風景が凝固され、
不思議な視線が現れてくる。
そしてそれはオーバーラップしてくる。
上手く説明できない。
上手く説明できないけれど、あの夜はそういう夜。
、、、
怖くて、それは迷い始めた前兆だったんじゃないか、
とは聞けなかったけれど、
その山のシチュエーションは何か潰れる店とよく似ていた。
経営状態がいい店でも悪いでも関係ない、
何かおかしなことが立て続けに起こるようになると店は簡単に潰れる。
その胚珠は、最初から肉の重さを持っていない。
少しずつ、異形化する、速度と時間に比例して、凡庸さが反転する。
そしていつのまにか、太く根を張った磁界。
ぐるぐる廻るという話で狐の話が思い出される。
ぐるぐる廻る犬は、寝る場所や排泄する場所を決める時、
その場を自分好みの場所に整えたり、安全を確認するためだ。
廻るという行為は、問題がある時―――。
店で一度だけスマホで写真を撮ったことを思い出す。
その写真には、最低でも数体はこの世ならざるものが、
、、、、、、、
写り込んでいた。
くらっとする、
鏡に写り込んでいる者、物陰に潜んでいる者、
パッと見では人間にしか見えない者もいる。
そこに彼女も写っているのだが、
その数体のこの世ならざるものが肩や首や頭に手を掛けていた。
彼女は狙われていた。
そしておそらく、私たちも巻き込まれかけていたのかも知れない。
その写真は処分しお祓いしたが、脳裏から消えることはない。
トンネルを抜けて帰ろうとした時、人工的な、
もはや音が冴えて、それとはすぐに気付かれぬ、
鳥の鳴き声のようなものを聞いた。