koichang’s blog

詩のノーベル賞を目指す、本を出さない、自由な詩人。

豆腐の話








豆腐作りは水が命。
日常よく口にする絹ごしや木綿といった豆腐の、
全体の八~九割が水。
水の良し悪しがダイレクトに反映される。
原料となる大豆は、まず水洗いされ、
その後“浸漬”といって水につけられる。
ここで豆に水をたっぷりと吸わせるので、
水の質はとても重要だ。
その後、水を加えながら磨砕し加熱する。
乳色の水を透して射る鱗の閃き。

豆腐屋は朝の早い二時~三時からと、
朝の遅い五時~六時からというパターンがあるらしい。
豆腐と一口にいっても甘みや、重さは微妙に違う。
同じように見えても美味しさづくりにはそれぞれのものがある。
にがりに塩を混ぜて甘みを引き出したり、などだ。

大手の物はいわゆる充填豆腐と呼ばれる、
ほとんどが機械化されたものだ。
できたての豆乳ににがりを加えて固めるのだが、
にがりの凝固反応がすごい早い。
そのおかげで一丁数十円の豆腐ができる。
けれど天然のにがりを使うと職人技が必要になるうえ、
価格帯はぐっと割高感を持つ。
高級志向ではない、ふっかけているわけでもない、
豆腐屋の豆腐は手間暇をかけて、
どうしたってこの値段にしかならないのだ。

老舗店なら桶やボウルを持って豆腐を買いに来る人もいて、
昔なら移動販売用の自転車やリアカーもあった。
昭和の原風景だ。
時代の流れの量販店ならそんな光景、
夢にも想像できないだろう。

「理念」と「経営」の間で板挟みになるのは世の常。
合理性はわかりつつ、
世の中の多くの人は誰もが社会や人に必要とされる、
認められる仕事をしたいと望んでいる。
最低、生きていく上で誰もが出来る仕事をするのは不健全だ。
僕等は働き蟻じゃない。
そうなってくると少しの金儲けが基準だ、
でも通販の豆腐というのもある。
外国で本当に美味しい豆腐を作り、
大金を稼ぐ人もいるのかも知れない。
海外での日本食ブームもあって、
健康志向の高いセレブからも人気の豆腐だ。

豆腐が嫌いな人は別として、
おそらく大半の人は豆腐を食べたことがあるだろう。
だのに、豆腐屋の豆腐を食べたことがない。
水と同じように大豆だって造詣が必要なところでもある。
何しろ、国内でも一〇〇〇種類ぐらいあり、
生産者と一緒に作り上げた大豆を使っているところもある。
同じ品種でも作る人によって全く違うし、
その土地でしかない在来種を扱えばさらに異なる。
ところで、北大路魯山人は京都の豆腐は美味しいと言う。

北大路魯山人は美味しい豆腐と、
普通の豆腐が同じ値段だったら、
どちらを買い求めに行くかという話をしていた覚えがある。
日本人は食にうるさいというわけではないが、
美味しくて同じ値段なら考えるまでもないことだ。
でも現実問題、家の近くに豆腐屋はないのだ。
しかし北大路魯山人は諦めなかった、美味しい豆腐の秘伝を学び、
美味しい水で、あくなき手作業で豆腐を作った。
生醤油かけるだけで美味しい豆腐を。

豆腐屋の道具といえば、
大豆をすりつぶす自動の石臼「グラインダー」
豆乳を炊く「煮釜」
豆乳とおからを分ける「絞り機」。
もめん豆腐の成型に使う「プレス台」
出来上がったお豆腐を包装する「パックシーラー」
これらは、基本設備として、
豆腐職人の手作りを支えている機械だ。

でも世の中には、薪木で火を起こす豆腐屋もいる。
何故かはわからないけど、美味しくなるそうだ。
御飯も窯で炊いた方が美味しいみたいなものだ。

ちなみに、この水は深さ三〇メートル以上の、
深い井戸からくみ上げる、
天然の地下水がのぞましい。
豆腐工場を作ってから井戸を掘ったのではなく、
いい水の出る場所に工場を作ったという美味しい水だ。
普通の水道水では残留塩素が影響したり、
いわゆるカルキ臭がしたりするのでそのままでは使えない。
水道水を利用しているメーカーでも、
浄水施設を通すなどして使う。
しかし本当に美味しい豆腐を知っている人なら、
そんな苦肉の策さえ簡単に見破られてしまう。

製造を開始する前、使う道具や容器には全て熱湯をかけて消毒行う。
床は水浸しになり、それまでひんやりと冷えきっていた場所は、
一気に湯気で温まりあっという間にサウナのような気温と湿度になる。
そこにいるだけで汗ばむような暑さだ。
湯葉をとりながら豆の選別をし、
煮炊きと豆乳搾りと寄せ(固めた)の作業を繰り返す。
寄せた直後の凝固温度を測って、
箱詰めを始めるタイミングの見立てをつけ、
樽に寄せた豆腐を「ボウズ」と呼ばれる半球形の柄杓で崩しながら、
すくって箱に詰める。
樽ごとの生地の固さや離水の具合を見ながら、崩し方を変える。
失敗すると、豆腐が厚かったり薄すぎたり、穴ができてしまったり、
もそもそした食感になる。
豆乳は水の入れ方によって濃さが変わるから、
糖度をはかったりもする。

どんな仕事でも慣れる、内容を覚えれば単純な作業になる、
一年やればどんな仕事でも大抵の人は慣れるし、覚える。
とはいえ、想像を超える重労働だと辞める人もいる。
それでも難しいと思われる作業、つまり奥が深い、
生き物との勝負という感じが残る。
だから名人の領域というのがある。
二年あれば誰でも豆腐職人になれるという話があったけれど、
そこからが道というものだ。

仕事を覚えるのが遅かろうが、その分、人に教える時や、
上手くなった時にちょっとした工夫がつくかも知れない。
世の中は物事を単純な見方として捉え過ぎているような気がする、
いつも本当に気持ち悪いと思っている。
表面的には四面四角で実直な人間として振る舞い、
内面的には柔和で柔軟な精神を持つ人情家を心がける、
浮世渡らば豆腐で渡れ。

寄せ豆腐だって盛り付けの美の妙味というのがある。
絹豆腐を切るのだって腰に来る作業だ。
水の中に入れた豆腐を定規もなくまっすぐに切ってゆくのなんて、
何でこんなこと出来るのかなって本当に思う。
元々豆腐は、お米文化の補助的な役割で、
お米で炭水化物を取り、足りないたんぱく質を大豆から取る、
という生活を日本人はしていた。しかし、お米の消費量が半分になり、
単純に豆腐も半分になった。
豆腐って淡白だっていう人もいるけど、
大豆の味がしっかりする豆腐もあるし、
その淡白さが豆腐百珍というレパートリーの由縁でもある。
また豆腐は消化吸収率が高い食材で、綜合栄養剤だとか、
抗がん剤、頭も良くなるとかもいわれているが話半分で。
豆腐を食べ過ぎたら毒にもなる、
ダイエット食材だけどこれだけ食べていればいいっていうことでもない。

四角い形で今にも崩れそうに柔らかいのに箸でしっかりとつまめ、
口の中に入れると、とろけてしまう豆腐。
毎回味が変わるという手作りの豆腐―――。